2006年12月02日

当BLOG休止のお知らせ

 
ご訪問いただきありがとうございます。

長らくの中断を経てようやく更新する内容が
このようなものとは、実に情けないことですが
タイトル通り、【余白から指先へ】は当面の間
更新休止することにしました。


主な理由は、管理人の実生活多忙にあります。

2006年から本業(小説執筆)の注文が微妙に
重なるようになっており
不器用な私には時間の遣り繰りや気持ちの切り替えが
上手にできない状態が続いています。

もともと、本BLOGのタイトル【余白から指先へ】の
「余白」とは、脳の余白、時間の余白をイメージしていました。
私個人の思考や時間の余白から生まれた内容を
「指先へ」つまりキーボード操作によって広い世界へ
発信します、という意味でした。
その余白が無くなってしまった時点で、本BLOGの運命も
決まっていたということかもしれません。

それでも、せっかく場所を確保したBLOGですから
なんとか維持管理したい、新エントリも更新したい
と長らく願ってきましたが、最近になってようやく
中途半端なこの状態は、訪問してくださる方にとっても
失礼である、との結論に至りました。

このBLOG自体を削除することも考えましたが
BLOGの性質上、トラックバックやリンクで
数多くのページと繋がっており
どの記事がどこからリンクされているかも私には把握できません。
過去に更新した内容であっても、文責は私にあります。
当BLOGを(「Seesaa BLOG」が消えるまでは)ネット上に
残しておき、メールアドレスを公開しておくことが
適当であろうと判断しました。

以上が、当BLOG休止の経緯です。




本BLOGは、上部にもある「日本って今どこにいるの?」を
主題としていました。
これは私にとって、今なお強い関心を寄せているテーマです。
「どこ?」を探るためには、おおまかにふたつの切り口が
あろうかと思います。
歴史的経緯においての「現代」という場所、そして
他国との関係においての「日本」という場所・・・。
どちらの切り口からも、私の知識や能力には限界があり
まったくもって不十分な思索しかできていません。
けれども、拙いなりにもBLOGという場所を得たことで
私以外の多くの有能なる思索家、スペシャリストの
方々と交流できたことは、ありがたくも貴重な経験と
感謝しています。

私が日本人であり、日本に生活の基盤を持っている以上
私は今後も同じテーマで考え続けることでしょう。
とはいえ、これはやはり難問なのだろうとも思います。
なぜなら私自身が日本に住んでおり、私自身もまた
絶え間なく移動しているからです。

もし立ち止まっている人間であれば
たとえば目の前を通り過ぎるバスが、東西南北どの方向へ
どの程度のスピードで移動しているかを知ることは
大雑把にであれば、可能そうなものです。
しかし自分がそこに乗客として乗っており
しかも車内を歩いているとしたら
窓の景色からバスの動いている方向を知ることは
難しいに違いありません。

難しいのですが、それでもやはり知りたいのですよね。
なぜなら自分がそこに乗っており
好むと好まざるとに関わらず運ばれている
という現実があるわけですから。

私が関心を持っていること、知りたいと思ったこと
ネットという場所を得て他の人々のナマの声を聞きたいとまで
願った理由・・・。それらはすべて、この
「日本って今どこにいるの?」という素朴な好奇心に由来
するものです。


今後も私は、日本(もしくは人間社会)という巨大なバスの中で
オロオロと右往左往しながら
日々泣いたり笑ったりし続けることでしょう。
けれども時には車窓に目を遣りたいものだと思っています。
そこで見えた景色をネットという手段で発信することまでは
なかなかできないかもしれませんが
好奇心だけは失わずにいたいと願っています。



ありがとうございました。





 


posted by 水無月 at 13:08| Comment(2) | TrackBack(249) | 当BLOGに関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月10日

北の核 ・・・冷静に だが鈍感であってもいけない

 
十月九日。三日ぶりに正午頃帰宅したら、話題はこれ一色。
もちろん私も興味関心はあるので、食事中はTVをつけっぱなし。
・・・行儀悪いです。

実験が成功したかどうかの精査も大事ですが、問題は常に
「今後」。

そういえば日本のメディアは「中国はメンツを潰された形・・・」と
盛んに当てこすりますが、仮にそれが事実だったとして
・・・「だからどうなの」?
メンツを潰された大国が怒って、あるいは愛想を尽かして
対北制裁に踏み切る・・・ことを期待しているということなのでしょうか。
しかし中国は激しい口調で北を責めながらも、一方では
日米に相変わらず自制を求めてるじゃありませんか。
中国が、メンツを潰されたくらいでその国への態度を一変させる
ような単純な国だなんて、私には信じられないのです。
日本はどうも、靖国での経験で「中国はメンツにこだわる国」
と過剰かつ誤って認識してしまっているような気がします。
もちろん、中国は体面を重んじる国でしょう。
しかし体面だけを重んじているわけでも、体面をなにより優先して
重んじているわけでもありません。
靖国にしても、なにもメンツ(中国国内向けも含む)のためだけに
中国はこれを問題視しているわけではないでしょう。
それが外交カードになると気づき、勝算があると踏んだからこそ
靖国問題は外交問題となりえたのです。そうして巨額の援助金が
長きに渡り、日本から中国へ送られました・・・。
中国へのODA打ち切りを断行した小泉氏が靖国参拝を強行する
人物でもあったことは、一面では単なる偶然でしょうが
(表面上、靖国問題と対中国ODAは無関係なはずですから)
水面下では、やはり必然的な結びつきがあったのだろうと思いますね。

それはともかく、メンツにこだわる大人気ない大国=中国
という先入観は強くしすぎない方が良いと思います。
中国はもっとしたたかな・・・実利の国という気がするのです。
今回の北の核についても・・・経済制裁に利があると判断すれば
そう動くでしょうし、北を崩壊させたくないのであれば
日米を牽制し続けるでしょう・・・。
北朝鮮は今なお、中華の翼にすっぽりと抱かれているのだと
思います。


北朝鮮は自らが核保有国であると主張しているわけですが
その目的はどうやら相変わらず、米国の課した金融制裁解除
にあるようです。
ここからは、米国の経済制裁が確実に効果を上げているらしい
ことがわかります。
(これは是非続けてもらわなければなりません)
国連でどう動こうと、たとえ経済制裁を課そうと、今回を見れば
北の暴走は止められなかった・・・のだから、制裁は無意味だ、とは
考えるべきでないと思います。
・・・逆でしょう。
制裁はダメージを与えていることがはっきりしたのですから
今後も経済制裁の輪を狭めてゆくしかありません。
少なくとも、軍事制裁よりはマシでしょうからね。

けれどもそうなると、話はまた冒頭の中国に戻ります。
中国(やロシア)が協力しなければ経済制裁も効果は薄い
らしいですから。

メンツ以外の部分でも、なんとか中国に本気になってもらい
たいものです。
「つべこべ言うならあの国をお前んトコに合併させるぞ!」
というのはどうでしょう?(笑
中国が北の存続を図るのは、いざ体制崩壊した際の越境難民
を恐れているからでしょう。今も脱北者をせっせと送り返している
くらいですから、これは効くかも(笑
まぁ、中国と韓国は嫌がるでしょうけどね。

あ、もうひとつ思いつきました。
「北の核をなんとかしないと韓国に核を持たせるよ?」
これも効きそう!(笑
でも今度は日本が全身で拒否反応を示しそうです・・・。



・・・冗談はさておき(冗談ですよ! ↑は冗談ですってば!)
本当に頭の痛い問題ですね。
普通の指導者なら、核は使えない兵器、という抑止理論を
受け入れているはずですが、なにしろあの金氏ですからね(困

まさかやらないだろう、という一線を平気で越えてしまえる
という点で、些か唐突ですが、私はオウムの松本氏を思い
出しました・・・。
常人の理解を遠く離れているという点で、両者は似ています。
そして結局・・・我々は喉元にナイフを突きつけられてしまった
ということなのだろうと思います。
テポドンやノドンに核弾頭を搭載するまでにはまだ様々な
技術的困難が残っているはずですが、そうした可能性も
我々は頭の片隅に入れておくべきなのでしょう。

松本氏・・・はどうやって制御したのでしたっけ?
圧倒的な警察力で身柄を取り押さえる・・・最後は実力行使
でしたね、そういえば。

・・・なんだかどんどん嫌な方向へ進んでいきそうなので
ここまでにしておきましょう。
わが町、わが国が東アジアにおける松本市や東京地下鉄の
役目を担わされないよう、祈るばかりです。
 

 
posted by 水無月 at 02:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 中国・朝鮮・在日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

靖国が変わるとすれば・・・

 
以下、日記から抜粋。やや時期遅れなのはご容赦ください・・・。


【<靖国神社遊就館>米が批判の記述修正 アジア関連は変えず】
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061006k0000m040143000c.html

 靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会が5日開かれ、
神社内の戦史博物館「遊就館」の展示のうち、米国から批判が
出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述を見直すことを決めた。
10月中に修正文を作成し、年内をめどに展示を変更する。一方、
中国や韓国などアジアの国々から「侵略戦争の認識が欠けており、
アジアの独立を促したと正当化している」などと批判されている
展示については、今のところ見直さない方針だ。
」 (毎日新聞 2006年10月6日 3時00分)

靖国に関しては比較的長く追っていますから、私がここで発言
しないのは、その方が不自然かと・・・(汗

まず、「靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会」
この存在を、不勉強なことに私は知りませんでした。
政教分離ということで、政治の側からはなにも言ってはいけない
ことになっている同神社ですが、自身が自身の意思で主体的に
態度を変える分には、なにも問題はないわけです。
これはとても自然なことである反面、正直に言ってなにか新鮮な
驚きも感じましたね。
もちろん、「遊就館」の展示と分祀ではおのずから性質が違い
ますから、いっしょにはできないでしょう。
・・・が、本質的には同じなんだろう、とも思いました。

靖国神社の「遊就館」に象徴されているのは、いわゆる
「靖国史観」なのだろうと思います。
そしていかなる史観も、同時代の政治背景抜きには成立しない
ということなのでしょうね。

アメリカからの要求には譲歩し
「アジアの国々」からの要求は突っぱねる・・・。
右左関係なく、ここに醜さや苛立ちを感じない日本人は少ない
のではないでしょうか。
そしてこの「醜く苛立たしい靖国」こそが、日本の現状を
ある意味では非常に正直に映し出した姿なのだと思います。

靖国神社を批判、あるいは非難することは簡単です。
しかし鏡に映った自己の姿がいくら醜く、不恰好であったと
しても、鏡を非難することにどれほどの意味があるでしょう。

鏡の中で美しい自己に会いたければ、不恰好な本体を
格好良く映すよう鏡に文句を言い、アレコレ弄り回すより
本体自身を引き締まって均整の取れた肉体に改造する方が
ずっと早く、かつ有意義であろうと思います。

 
posted by 水無月 at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) |   ◇靖国問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

君が代・日の丸問題についての感想

 
【<国旗国歌>都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決】

 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を
強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害する
として、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を
相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた
訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は
「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がない
ことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを
命じる判決を言い渡した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060921k0000e040101000c.html

この問題では以前からスッキリしないことが・・・。

強制は違憲、これはその通りだろうと思います。
教育という場で、思想・信条の自由を侵すような強制は
許されないだろうと思います。
少数者の意見だからこそ、公権力で握りつぶすようなことは
あってはなりません。もちろんです。

ただ、国旗や国歌に敬意を持たぬ者が、公教育の場の
それも教師という立場に相応しいかどうか・・・という問題は
相変わらず残っているだろうと思うのです。

おそらく「彼ら」の立場は・・・こう。
「国歌や国旗、すなわち日本国への敬意は持っているが
 それが日の丸や君が代であることが問題なのだ」
国歌・国旗改変期待論はここに存在するはずです。

なぜ、君が代や日の丸は国歌や国旗に相応しくないか。
判決文から引用・・・。

第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として
用いられ、現在も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的な
ものと認められるまでには至っていない
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060922k0000m040087000c.html

結局、ここ・・・。
「皇国思想や軍国主義の精神的支柱」として用いられた戦前
までの「歴史」
「宗教的、政治的に価値中立的なものと認められ」ていない
「現状」

天皇(象徴天皇制)でしょう。やはり・・・。
いつもいつも、問題はここへ立ち返る。
天皇家や象徴天皇制が「宗教的、政治的に価値中立的なもの
と認められ」ているか、どうか・・・が、まさに現代の日本国が
抱える精神的・文化的・政治的な最大問題なのでしょうね。
つまり、「宗教的、政治的に価値中立的なもの」と看做す国民と
そうは看做さない国民とが(数において)、ほぼ拮抗している
のが現状だろう、と私は見ているのです。


それがコンテンポラリーな問題であるがゆえに、裁判官でさえ
実は判決を下し得ない問題なのだと思います。
なぜなら裁判官が根拠とする法律自体、時代の力によって
いかようにでも変化し得るから。
これを変化させるのは狭義には政治(家)ですが、政治(家)も
また融通無碍に態度を変化させる実態を見やれば、最終的には
通常は「世論」などと平べったく呼ばれる「時代の風」が
最終決着をつけるはずです。
そしてこの種の問題は、この方法によってしか解決され得ない
でしょうし、解決されるべきでもない、と私は思います。

これは靖国も同様・・・。要するに象徴天皇制自体も。


国の形そのもの・・・が問われている、それが現代なのでしょう。

頬に当たる時代の風・・・を、感じます。

 

posted by 水無月 at 00:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 国内(靖国・天皇) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月13日

日本にとっての「イラク・ショック」

 

イラクの大地に最初の着弾があった瞬間 
イラク問題は米国問題に変わった


これは昔書いた日記の一部です。
日付を見ると・・・「2003年3月22日」

・・・あれから三年半。

イラクから大量破壊兵器が見つからなかったことで
米国内にはイラク戦争を疑問視する声が高まり
現政権への支持率も低下しているそうですね。
それを受け、「当時米国を支持した日本政府(小泉政権)も
大義が崩れたのだから判断の過ちを率直に認めるべきだ」
という趣旨の新聞記事を本日、目にしました。

私の意見はそれとは少し違います。
とはいえ、当時の小泉政権の判断が正しかった、などと
言いたいのでもありません。
小泉政権は間違いなく誤った選択をしました・・・が
その過ちは、いわば当時の日本国民総意の上での過ちだった
と思うのです。

誤った選択を最初にしたのは米国です。
そのことを、私の見、感じるところの皮膚感覚では
日本国民の過半数は知っていました。
しかし、誤てる米国にそれでも日本はついて行かざるを
得ない・・・というのが、当時の政府の判断であり
国民の判断でもあったろうと思います。
だからこそ、自衛隊のイラク派兵に反対する国民は
当時の世論調査によれば2/3を超えていたのに、その数が
そのまま野党へは流れないのです。

大量破壊兵器が見つからなかった・・・から
あの戦争は間違っていた、それを支持した小泉政権も間違っていた
などという論評(=正論)を今さら垂れ流して澄ましていられる
ような人々は、あまりに理解が浅い、と言わざるを得ません。
日本への理解も、日本国民への理解も、政治への理解も
浅い・・・。浅すぎる。中学生並です。
そんな書生論に政治は任せられませんし、日本の将来を
託すこともできません。
市井の国民の方が何倍も成熟しており、現実を知っている
・・・ように私には思えます。

この三年半・・・。日本は変わりました。
その遠因には確実に、「間違った派兵を、間違っていると知りつつ
それでもなお、選択しなければならなかった」苦悩という
この日本にとってのイラクショックがある、と私は思っています。
ベトナム戦争の時には日本は辛うじて派兵を免れましたが
当時と比べて飛躍的に増大した国際社会における日本の存在感が
もはや「派兵しない」選択を許されなくしています。
そのことに、日本国民は気づかされたのだと思います。

友人(仏独)の説得にも耳を貸さず、明らかに誤った道にも
堂々と突き進んでしまう未熟な超大国・アメリカ。
その米国に追従笑いを浮かべて従わざるを得ない平和主義の
敗戦国・日本。

けれどもこの、日本国民が否応無く飲み込まされた「苦悩」を
新聞各紙(メディア=知識人)も野党も、不毛な政権批判に
転化するばかりで決して正面から受け止めようとはしてくれません。
問題を孕みつつも、強引ながらも、その苦悩を引き受けようと
する姿勢を示しているのは結局のところ、与党以外にはない
ように見えます。
だから国民も、与党へ入れるしかない・・・のが現実のところ
なのではないでしょうか。

相変わらず進歩のない新聞各紙の論評に、私は深い徒労感を
禁じ得ませんでした・・・。


左派陣営が好んで用いる「右傾化」ですが、その中身には
米国(軍)に頼らずとも自国防衛を成り立たせたい・・・と
いう、苦悩にまみれた自立への芽生えが、確実に含まれている
ように思います。
改憲論議への急激な容認の風潮も、このイラク戦争抜きには
語れないでしょう。

イラク戦争後の日本を「右傾化」と評して批判することしか
できない人々・・・それは広く日本を覆っている「苦悩」に
正しく気づき、共感できていない人々でもあるでしょう・・・は
今後も国民世論の動向を読むことができず、裏切られ続ける
しかない人々です。

そうした人々に、私は同情できません。
 
posted by 水無月 at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 米国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月06日

親王誕生

 
私は素直に嬉しく思いました。
両陛下と秋篠宮ご一家に、心よりお慶び申し上げます。


この件に関しては、思えば本当に色々ありました(汗
私は男系天皇支持者ですが、そのことをネット上のとある場所で
明記したら「予想外でがっかりした」という、まさに予想外の
コメントをいただき、困惑したこともありました。

男系天皇という日本の文化や伝統、または血統を守りたいと
願う気持ちは、男女平等思想(フェミニズム)とは
元来、次元を異にするものだと私は理解しています。
しかしそれを文章で表現し主張することは本当に難しい・・・。
男系主義であることが、男尊女卑思想の持ち主であると
解釈されることは、耐え難い苦痛でもあります。
私は、フェミニズム陣営からのこうした反応にこそ、むしろ
舞台となる国の文化と十分に許容・融合できていないという
意味での、日本におけるフェミニズムの未成熟を感じざるを
得ませんでした・・・。


もうひとつ思い起こすのは、小泉現首相が主導した昨年の
皇室典範改正論の慌しさや、その顛末です。
周知の通り、秋篠宮妃が懐妊なさってからというもの
この動きはぴたりと止まりました。
男子が継ぐのが望ましいが、それが無理なら今上天皇直系で
天皇論としての万世一系は二の次、三の次で・・・というのが
現政権の考え方のようです。
こうした発想は、今上天皇ご一家を利することはありこそすれ
天皇、もしくは天皇制自体にとっては、その存在意義を危うく
する作用しかない、と私は考えています。
天皇の天皇たる所以は日本神話、わけても天照大御神との
結びつきにあります。天皇という存在を守りたいのなら
万世一系と三種の神器を(どれほど馬鹿馬鹿しく幼稚に思えても)
死守するしかありません。
今上天皇ご一家の将来を守るために天皇という稀有な日本文化を
犠牲にしてもよい・・・と考えるのなら、女系容認となるでしょう。
しかし私自身が一番大事に思っているのは、文化としての天皇
ですから、女系容認の立場は取れません。


政争の道具にまで危うく堕ちかけていた天皇家お世継ぎ問題を
ひとりの女性が、わずか一年足らずで有無を言わせぬ決着へと
導きました。
このことも、実に感慨深く思われます。
泣く子と地頭には勝てぬ・・・ではないですが、いったん親王が
お生まれになったからには、この問題は議論自体が不謹慎として
一世代先送りにされることでしょう。
男系論者の私としては結論に異存はありませんが
十分な議論を経ずして結果だけを与えられたこの成り行きに
どこか呆気に取られたような・・・危ういものも感じています。

とりあえずは・・・女性には敵いません、というところでしょうか(苦笑
そういえば、天照大御神も(異論はありますが)女神でした。
天照と天皇の関係は、かつて邪馬台国を治めた女王卑弥呼と
彼女に仕えた弟との関係が原型であろうという説がありますが
私もこれに近いイメージを持っています。



     ◇     ◇     ◇



※ またしても、あまりにも長く更新できずにいて、ごめんなさい(汗
私は元気ですが、相変わらずBLOGまではなかなか手が回りません。
今回は、半世紀後には祝日になっているかもしれないこの日を記念し
慌しく別所にて書き散らした日記文をUPしました。



 
posted by 水無月 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) |   ◇皇位継承問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月22日

昭和天皇の発言ではなかった

 
前回書いた靖国メモに関してですが
どうやら昭和天皇ご発言のメモではなかったようです。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1715328
『富田メモは昭和天皇ではなく藤尾元文相の発言【マスゴミ捏造】』

メモ画像が載っているので、確度はこれ以上ないほど高い
のではないでしょうか。


さて、この画像を良く見て見ましょう
日経の記事になった発言の前にも文章があります

その全文

 前にもあったが どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったが
 藤尾(文相)の発言。
 =奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
 私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが松平の子の今の宮司がどう考えたのか
 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。


はい、そうです、
中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の、藤尾元文相の発言です
昭和天皇の発言ではありません


偽装(!)とは気づかず、私も反応してしまったわけですが
つまりはそれほど、天皇という存在は、日本においては
大きな存在だということだと思います。

それがなぜに・・・偽装!?
畏れ多いことであると同時に、これが最後まで明らかに
されなかった場合の影響の大きさを考えると、恐怖を覚えます。

しかもこのことは、どうやらまだメディアでは報道さえ
されていないようですね。
ネット上の報道記事を見ると相変わらず、この偽装メモが
昭和天皇の ご意向である、との前提で議論が進んでいます。
事実を検証できないメディア!?

恐ろしいことです。
 

結果的に、小泉首相は咄嗟に「心の問題であり影響なし」とした
あの談話で、また株を上げたことになるでしょう。




 
posted by 水無月 at 22:07| Comment(10) | TrackBack(2) |   ◇靖国問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月20日

「それが私の心だ」

 
【昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀】
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200607200188.html
(2006年07月20日11時12分 【asahi.com】)

「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され
 その上 松岡、白取(原文のまま)までもが
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか
 易々(やすやす)と
 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに
 親の心子知らずと思っている
 だから私(は)あれ以来参拝していない
 それが私の心だ」

やっぱり天皇なんですね。この国は。
首相が参拝するかどうかなど、小さな問題に思えてきます。
首相後継者レースへの影響などさらに小さな問題。
外国の反応などどうでも宜しい。

靖国が神社である以上、祭祀長は天皇です。

なるほどなぁ・・・と思った次第(笑


細かなことですが、「それが私の心だ」これはなかなか
考えさせられる表現です。
言外に、「私の心こそ日本の心である」という強烈な自負を
感じたのは私だけでしょうか。

なるほどなぁ・・・と再び(苦笑




 
posted by 水無月 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) |   ◇靖国問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

無能とモラル

 
【姉歯元建築士を偽証容疑で再逮捕 捜査終結へ】朝日
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060622/K2006062201780.html?C=S

 捜査本部の調べでは、姉歯容疑者は昨年12月の衆院
国土交通委員会の証人喚問で、初めて構造計算書を偽造
した時期を偽って証言した疑い。偽造の動機についても、
「木村建設の東京支店長から鉄筋を減らすよう、
プレッシャーをかけられた」と証言していた。しかし、
その後の調べに対し「経験したことのない高さの物件で、
計算ができなかった
。失敗したら次の仕事を続けて得る
のが難しくなる」「自分から虚偽の計算を始めたとは
言いづらかった
」などと供述しているという。


木村建設からのプレッシャーがあってもなくても、彼は
いつか偽造をしたでしょう。これが結論というわけです。
そしてその原因は、彼個人の無能とモラルの低さ・・・に
あったということ。

もっともだからといって、木村建設等建設会社、設計元受
総研、あるいはイーホームズや地方自治体等確認機関、に
罪がなかったわけではありません。
彼らの罪は、偽装に気づけなかったこと、もしくは
薄々気づいていたかもしれない場合には、あえて見逃した
こと、です。つまりこれもまた、
無能とモラルの低さ(能率・経済至上主義)・・・でしょう。

この件に関しては、これまでの行きがかり上、絶対に
BLOGエントリを上げないといけないんですが、時間的に
とても書けそうにありません・・・(汗
私も無能でモラルが低い・・・と言われかねない状況の中
せめてこの日記(エントリ)を残しておきます。



それにしても・・・思い返せば、この事件は本当に興味深い
事件でした。
特に姉歯氏という人は私の興味を惹く人物でした。
大昔に三億円強奪事件というのがありましたが
個人で多数の人々、組織、機関にこれほどのダメージを
与えた人物・・・というのは、ちょっと思い出せません。
いえ、そういう例もきっとあるのでしょうが、その理由が
なにか特に遠大な目的というわけでなく、単に個人の
無能とモラルの低さ、にあった、というケースはなかった
ような気がします。

無能自体は罪ではないはずです。
無能ということを内外に認めることができれば。
もっとも、モラルの低さ・・・の方は、一筋縄ではいきません。
個人のモラルは、概ね、社会全体のモラルに影響されます。
周囲のモラルが低い中では、高い志を持ち続けることは
時に大変困難でしょう。このあたり(だけ)が、彼や
関係者に唯一同情可能な点かもしれません。

日本社会全体のモラルも問われている・・・という意味で。




姉歯氏個人、あるいは関係者の無能やモラル・・・が
招いた事件でしたが、その背景には建築行政や
設計基準そのものに関わるような、巨大すぎる問題が
潜んでいた、こともすでに明らかとなっています。

  ※参考
   【耐震強度偽装問題時系列】 (建築よろず相談 さん)
    http://www.shou.co.jp/yorozu/naibu/gisou.htm

   【2ch::強度偽装事件 watch】 (u92 さん)
    http://u92.s172.xrea.com/knewsp/

ただ、そうして問題の根を辿っていくと、最後は必ず
「日本社会全体」に突き当たり、そこで手に負えなくなる。
少なくとも私個人には追いきれなくなってしまう・・・。

この事件に関してはいくつものエントリを上げましたが
そうしたジレンマを感じ続けていたことを
この機会に記述しておきたいと思います。










 
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2006年06月14日

「自分が犠牲になる寛容の心」の危険(長島議員BLOGより)

 
前回も触れた
 長島昭久 WeBLOG 『翔ぶが如く』
 http://blog.goo.ne.jp/nagashima21
が「北朝鮮人権法案」絡みで燃えている件ですが、少し詳しく書いておきたいと思いました。


簡単に背景を説明しておくと、まず「北朝鮮の人権問題」に関する基本的な、自民、民主両党の考え方の違いがあります。
 自民党 → 拉致問題解決のため経済制裁の法的根拠を整えたい
 民主党 → (人道的見地から)脱北者支援をすべき
両党は2006年6月9日、それぞれ提出していた「北朝鮮人権法案」を一本化することで合意。この法案は今国会で成立する見通しです。

与野党合意した法案の概要は以下の通り。


『拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律案』

第一条(目的)
 北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深め
 国際社会と連携しつつ実態を解明し、及びその抑止を図る

第二条(国の責務)
 国は、拉致問題を解決するため、国民に情報提供を求め、また
 自ら徹底した調査を行い、帰国の実現に最大限の努力をする

第三条(地方公共団体の責務)
 地方公共団体は、国民世論の啓発を図るよう努める

第四条(北朝鮮人権侵害問題啓発週間)
 十二月十日から十六日までを北朝鮮人権侵害問題啓発週間とする
 
第五条(年次報告)
 政府は毎年国会に取組についての報告を提出し、公表する

第六条(国際的な連携の強化等)
 政府は、拉致被害者、脱北者、その他北朝鮮当局による人権
 侵害の被害者に対する適切な施策を講ずる
 
第七条(北朝鮮当局による人権侵害状況が改善されない場合の措置)
 政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による日本国民に対する重大な人権侵害状況について改善が図られていないと認めるときは、国際的動向等を総合的に勘案し、特定船舶の入港の禁止、外国為替及び外国貿易法による措置その他必要な措置を講ずる



これを見ればわかる通り、第一条〜五条までは、特に問題もないはずですが、第六条が民主党、第七条が自民党の主張を、それぞれ反映しているわけです。


そこで冒頭の長島議員のBLOGに戻ります。要するに
「どうして日本が脱北者支援をしなければならないのか」
という部分で、批判コメントが殺到しているのでしょう。
(長島氏は同法案の民主党側政策担当者のようです)

これに関して長島氏は次々と関連エントリを上げています。
(でもトラックバックは受け付けていないようです)
 【北朝鮮人権救済法案、成立へあと一歩!】2006年06月08日 21時57分00秒
 (BLOG炎上の発端となったエントリ)
 【改めて、北朝鮮人権法の成立を期す】2006年06月10日 14時07分26秒
 (法案の全文をのせ、脱北者支援が金政権崩壊を導く意義を説明)
 【立川市議選始まる】2006年06月12日 12時44分05秒
 (引き続き意義を説明、理解を求める)
 【『北朝鮮人権法案』で考えさせられたこと】2006年06月13日 10時39分28秒
 (寄せられたコメントの中から「kappe@錦」氏の擁護コメントを引用)


さて、やっと本論まで辿り着けた気がします。
最後のエントリのkappe@錦氏の法案擁護コメントを、私は実に興味深く読みました。また同氏のコメントは、(結論は正反対ですが途中までは)私の認識とも共通しています。以下、長島氏BLOGより引用してみます。


・・・前略・・・

拉致問題の究極解決を早期に図るには、つまるところ北の現政権が倒れないと無理だと思います。

 ところが、実際に金正日政権が倒れたら大量難民の発生必至でしょう。なので、大量難民が流入したら困る中韓(中国には、それ以外にも困る理由がありますけど)は、(中韓の現政権が交替し北に対し今より厳しいトップに替わったとしても)北朝鮮のハードブレークダウンは阻止しようとするでしょう。国益上、そうで当然。あくまで中韓は北に対してはソフトな改革を促す路線。

 なので、問題の早期解決のため、ハードブレークダウンを起こしかねない"強い経済制裁"を行うのであれば、日本が、ハードブレークダウン時に大量発生すると思われる難民になにがしかの責任を持つと宣言する必要がある

・・・中略・・・

 ところが、日本は、ここのコメントを眺めていても、どうも「北の政権が制裁の結果仮に倒れたとしても、その後の北の社会混乱に対し責任を取る気なんてない」ように見える。その経済コスト・社会コストに、耐える覚悟がなさそう。

・・・中略・・・

 ...ただ、ねぇ。明治の人、サムライの心をまだ維持した人たちだったらどうかしら?と思うんです。目先とっても苦しくても、問題の早期、かつ究極解決を目指すために、困難に耐える覚悟があったんじゃないかしら、と。多少気にくわない相手であっても、アジアの人のために自分が犠牲になる寛容の心があったんじゃないかしら、と。真の愛国心があったのではないかしら、と。

・・・後略・・・



このkappe@錦氏がどなたかは全く存じ上げませんが、非常に冷静かつ現実的な考え方をする人物だと私は思います。
そしてまた、同氏のコメントに「私がもっとも共感した」との感想を添えて全文引用する長島議員にも、彼が所属する民主党にも、私は改めて強い感慨を覚えたのです。

簡単に述べますと、私は上記のkappe@錦氏コメント引用部分のうち、前半には全く同感です。特に、青字で示した部分は重要な認識だと思います。
はっきり言えば、中韓露は北朝鮮金政権に倒れて欲しくない・・・ということ。
倒れて欲しいと思っているのは、主にアメリカと日本だけなのです。
しかしそのアメリカも、同じような(完全に同じとは言いませんが)人道的趣旨で「倒した」イラクの後始末が未だに終了せず、青息吐息の状態・・・。

北朝鮮へどうやって、誰が(どの国が)、とどめの一撃を刺すのか・・・。これが深刻な問題であることは間違いないと思います。


なお、長島氏BLOGへ寄せられた批判コメントの多くが、脱北者支援への反対意見です。
ここに、これまでの日朝関係や在日問題の影響を読み取るのは容易なことでしょう。
要するに日本国民は(このコメント欄を見る限り)、「脱北者を受け入れたくない」という強い意志を持っているのです。
そして、「拉致問題を解決するためには金政権を倒し、その結果発生するであろう難民も受け入れざるをえない(はずだ)」と考える民主党より、「拉致問題解決には努力するが難民は受け入れない(ことが可能だ)」と考えているらしい自民党を、支持しているわけです。この部分の両党の認識の違いが、そのままkappe@錦氏とほかの批判コメンター達との違いです。それは上記引用部分のうち、緑字で示した箇所でしょう。

ところで、「拉致問題解決には努力するが難民は受け入れない(ことが可能だ)」という自民党の主張は、本当に成り立つのでしょうか。
私は若干の疑念を抱いています。
それが本当にできれば、それにこしたことはありませんし、拉致問題解決に向け、自民党に希望を託す人々の気持ちも痛いほどわかります。しかし結局のところ自民党の最終的な選択とは、「難民を受け入れずにすむギリギリのところまで拉致問題解決に努力する」ということかもしれません。
(とはいえ、本気で拉致問題を解決しようという気迫もないのに、ポーズだけで金政権崩壊=脱北者支援の危険性を語る民主党に比べれば、遥かにマシと言わざるを得ませんが)


そうしていよいよ、kappe@錦氏と私との決定的な違いについて・・・です。
引用の赤字の部分ですね。再引用します。

明治の人、サムライの心をまだ維持した人たちだったらどうかしら?と思うんです。目先とっても苦しくても、問題の早期、かつ究極解決を目指すために、困難に耐える覚悟があったんじゃないかしら、と。多少気にくわない相手であっても、アジアの人のために自分が犠牲になる寛容の心があったんじゃないかしら、と。真の愛国心があったのではないかしら、と。

すでに述べたような拉致問題解決と脱北者支援とのジレンマ・・・を、もはやここでは超えています。
ここで好意的に追想されているのは、「多少気にくわない相手であっても、アジアの人のために自分が犠牲になる寛容の心」です。それがサムライの心だ、と。
拉致被害者でなく、アジアの人のため、に、いつの間にか広がっています。

正直、私はこれを読んで身震いしました。

この「アジアの人のために自分が犠牲になる寛容の心」こそ、日本を「大東亜戦争」へと駆り立てた(少なくとも表向きの)理由だったのではありませんか?
政治家や軍人レベルではない一般の人々は、先の戦争で「日本がアジアを侵略している」とは、思ってなかったはずです。欧米列強の支配から独立を守るため、アジア同士で助け合わねばならない、日本はほかのアジア諸国を守らねばならない、というまさに高潔なサムライの心根から、出征していったのではないでしょうか。
もちろん異論もあるでしょうが、大義名分としては、そうだったと思うのです。

そういえば似たようなことはつい最近、イラクでもありました。
結局のところ、「他国のために自分が犠牲となる寛容の心」という美しい自国イメージこそ、一般国民を戦争賛美へと追い込んでいく「心理的な罠」なのです。

私は、なにがなんでも脱北者は受け入れられない、と反発する膨大な批判コメントの中にこそ、「敗戦から学んだ日本」で暮らす一般国民の「精神の健全さ」を感じました。


もし・・・。
長島氏が、「他国のために自分が犠牲になる寛容の心」に共感を覚え、魅力を感じているのなら、長島氏を政治家として非常に危険だと私は判断します。
同様に、それが民主党内部の一般的な空気であるなら、私は民主党こそ軍国化の危険を孕む政党だと判断します。

「他国のための犠牲」など、他国から散々せっつかれてから、ようやく重い腰を上げる程度で十分なのだと思います。それこそが本当の犠牲です。自ら進んで犠牲になろう、などと言うのは、人でも国でもロクなものではありません。


 
posted by 水無月 at 02:57| Comment(4) | TrackBack(0) | 国内(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする