2006年01月11日

A【リベラル】補記 ナイーヴな最強世代

先回、私は【A【リベラル】「自由」からは自由な政治的立場】のエントリを上げたわけですが、実はこの時、同文を某SNSでもUPしていました。そしてコメントを頂き、返事を差し上げるという遣り取りがありました。
頂いたコメントは短いものでしたが、私が普段から漠然と抱く問題意識(?)を刺激するものであり、その返事(頂いた内容からはやや脱線してしまいましたが 汗)を考えることは、私自身にとってこそ有意義だったと思っています。
そこで今回は、そのコメント双方の全文を、先方の了承を得た上で、こちらにも公開することにしました。

コメントを下さったのはネットのみならず書籍・雑誌等でもご活躍中の中宮崇氏です。あちらこちらでのご発言内容を拝見すると、やや(とっても? 汗)過激に属する嫌韓論者でもいらっしゃるようですが、その根底に流れるものは「日本をどうすればいいか」「日本はどうあるべきか」という真摯な問題意識であろうと思います。
私自身は、表現自体も主張の一部、と考える立場ですから、あまりに過激な言い回しには抵抗感を拭い去れないというのが正直なところですが、今回は、氏の問題意識が、見ている方向は多少異なるけれども日本人として同様の問題意識を持つ私の琴線に触れた、ということだと思います。
今回のエントリを記述するに当たっては、お忙しいに違いない中、目を留めてコメントを下さり、また快く転載のご許可を下さった中宮氏に、深く感謝を申し上げる次第です。

中宮崇氏のサイトはこちら → 【週刊言志人


(以下転載)


◇ 2006年01月09日06:06 中宮崇さん

左翼メディアや左翼知識人が嘘や捏造してまで、反権力なるもの、反日的なるものを甘やかしちゃって堕落させたのが大きな原因でしょうね。
朝日が社会党や中国・朝鮮をまっとうに批判していれば、社会党が消滅することも、ここまで嫌韓や反リベラルが広まることも無かったでしょう。
その意味で、わが国から健全なリベラルの芽を摘み去ったのは、似非リベラルの左翼自身だと思います。


◇ 2006年01月09日21:28 水無月
 
中宮さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

>朝日が社会党や中国・朝鮮をまっとうに批判していれば

全く同感ですね。
中宮さんの仰る「甘やかしちゃって堕落させた」というのは
私の実感ともぴったり一致します。

そして思うに、おそらく、長らく日本の良心であり知性であったはずの左派知識人達(彼らが事実上日本のリベラルとニアイコールだったのでしょうけど)は、国内の敵(自民党=親米路線論者達)を倒すことに熱中するあまり、どこかでつい、国外の敵と手を結んでしまったのでしょうね。
内なる戦いで勝利するため、外部勢力に応援を頼む・・・というのは、過去歴史上どこの国でもよく見られた現象です。その結果が最終的に自国へ益をもたらした例など、たぶん皆無でしょうけど、国内の敵への憎悪に目がくらんでしまうと、そういうこともわからなくなってしまうのでしょう。

そしてそこまで左派が「歪んだ」原因を考えてゆくと、私はやはり、安保闘争のあたりに行き着きます。米国との安保条約締結は結果として日本に多大な利益をもたらしたし、当時の為政者(自民党)の判断が誤っていたと責める人は今ではもういません。
けれども、内心では納得できていない安保世代というのは、実は多いんじゃないでしょうか・・・。彼らは学生運動という形での政治闘争の敗北・挫折を、言論や知性の分野でカバーしようとした。カバーしたかった、カバーされてしかるべき、と考えた、というか。
そういう彼らにとっては、なによりもまず、彼ら自身のために、自民党は常に「悪」でなければならなかったのではないか。彼らの傷ついた魂は手当てもされずに放置されているどころか、皮肉にも日本の繁栄こそが、その傷をさらに日々、刺激するのです。そういうナイーヴな人々が、日本の良心であったはずのリベラル系大新聞の朝日に、大勢身を寄せていたのではないでしょうか・・・。
そんなようなことを、私は考えています。とはいえ、私自身は安保世代から10年以上も遅れてしまったので、本当のリアルな世代空気というのは、わからないのですけどね(汗

けれどももしそういう見方が一部でも成立するのであれば、国を二分し死者まで出してしまった安保闘争というものを、日本はまだ上手に克服できていなかったのだ、ということになります。
フォーク・ソングのような叙情的なもので慰められるほど、それは浅い傷ではなかったのだ、と。そのことも、日本はきちんと正視すべきだと思いますね。

コメントに感謝します。
今後とも、よろしくお願いします。


(ここまで)


私の意見は上に引用した通りですが、私は常々、1960年頃の安保闘争とその後ほぼ十年間吹き荒れ、結果的には過激派とも接点を持つに至った学生運動、という現代史を、日本はもう少し正面から見つめ、真面目に整理すべきだと思っています。なにしろ彼らはいまだ現役であり、日本を担い、日本を動かしているのですから。

浅間山荘事件(1972年2月)が起きた時、私はまもなく義務教育に上がるという幼稚園児でした。そして、普段は口やかましく「テレビをつけっぱなしにしない!」と叱る大人達が、日がな一日、白黒の画面に見入っていたことを覚えています。幼児にとってさえ、これは只事ではない、と恐怖さえ伴う鮮烈な印象を残した同事件(や、その前に起きていた一連の大事件群)が、当時多感な若者だった世代になんの影響も与えていないはずはないのです。

彼らはまた、団塊の世代でもあります。出生率が年々下がる中、蝶よ花よと大事に育てられた平成生まれの若者らとは、言ってみれば対極の環境で育ったわけです。そしてなにしろ数が多い(笑)。世代ということで単純に考えれば、最強パワーでしょう。そろそろ定年に差し掛かる年代でもありますが、さまざまな分野で今後重鎮となり、日本の意思決定に重要な役割を担うことになるはずです。

日本という国の現状、なぜ今こうなっているのか、さらには今後どうあるべきか、を理解しようとする時、彼らはひとつの鍵となってるのではないでしょうか(もちろん、安保世代といっても、単純に年代で分けてしまえば多様な人々がそこに属するわけで、ひとくくりに論じられるようなものではないことも当然ですが)。
彼らの思想、感性、そして生身の皮膚感覚・・・といったものを、私のような他世代は謙虚に理解(し、時に共感し、時に批判)する、ということが、求められているのだと思います。


※関連エントリ

A【リベラル】「自由」からは自由な政治的立場
@【新自由主義】ネオリベラリズム



     ◇     ◇     ◇


<資料> 出典はいずれも、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【安保闘争】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89

安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年から1960年の日本で展開された日米間の安全保障条約(安保条約)に反対する大衆運動のこと。

安保条約
1951年9月8日、米国のサン・フランシスコ市で米国をはじめとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたときに、主席全権委員であった吉田茂内閣総理大臣が単独で日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安全保障条約)に署名した。この条約によって日本占領のアメリカ軍は、在日米軍となって現在に至っている。

60年安保
1951年に締結された安保条約は、1958年頃から岸信介内閣によって改定の交渉が行われ、1960年1月に条約が調印された。この間、改定により日本が戦争に巻き込まれる危険が増す、などの理由で反対運動が高まっていった。特に5月20日に衆議院で強行採決されると、民主主義の破壊であるとして一般市民の間にも反対の機運が高まり国会の周囲をデモ隊が取り囲んだ。条約は参議院の議決がないまま6月19日に自然成立したが、予定されていたアイゼンハワー大統領の来日も中止となり、混乱を収拾するため、7月、岸内閣は総辞職した。

60年安保闘争の経緯
1959年3月 安保条約改定阻止国民会議を結成。日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、原水爆禁止国民会議(原水禁)など
社会党の西尾末広は改定阻止国民会議に反対を表明(10月に離党)
同11月 デモ隊が国会構内に乱入
1960年1月19日 日米政府間で条約調印
同1月24日 西尾末広らが民主社会党結成
同4月 全学連が警官隊と衝突
同5月20日 衆議院議院で強行採決
これ以降、連日デモ隊が国会を囲む
同6月11日 ハガチー事件(大統領秘書が来日するが、羽田でデモ隊に包囲されヘリコプターで脱出)
同6月15日 全学連と警察隊の衝突で、大学生樺美智子死去
同6月19日 条約が自然成立(23日に発効)

60年安保闘争の評価

70年安保
自動継続となったこともあり、一般的な運動としてはあまり盛り上がらなかった。ただし、学生の間では1970年を前にして1968-69年に学生運動が盛んになり、東大闘争、日大闘争などが行われた。


【学生運動】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95

学生運動(がくせいうんどう)とは、学生によって組織され展開される、政治的・社会的・啓蒙的な性質をもつ運動である。学生闘争(がくせいとうそう)・学生紛争(がくせいふんそう)ともいう。また、主に大学などが拠点とされたことから、大学闘争(だいがくとうそう)・大学紛争(だいがくふんそう)、学園闘争(がくえんとうそう)・学園紛争(がくえんふんそう)などともいう。

運動主体の学生たちや運動賛成者は「闘争」という言葉を、傍観的立場の人々は単に「学生運動」、運動反対者や保守的な思想の人たちは「紛争」という言葉を用いる傾向がある。


【連合赤軍】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D

連合赤軍(れんごうせきぐん)は、1971年から1972年にかけて活動した日本の新左翼武装テロ組織。

連合赤軍事件として、榛名山で山岳ベース事件を起こし、逮捕を逃れた者らがあさま山荘事件を起こした。

結成時のメンバー29名の内、12人が殺害され、釈放された坂東国男を除く16人は判決が確定した。

連合赤軍の発足
1971年、学生運動が下火になり、大菩薩事件やよど号ハイジャック事件などで幹部の逮捕などで弱体化していた共産主義者同盟赤軍派の軍事組織である中央軍の残党と、やや旧左翼的体質を持つ日本共産党革命左派神奈川県委員会の軍事組織である人民革命軍が統合し、統一された「赤軍」(統一赤軍)として、日本共産党創立日と同じ7月15日付で生まれた。

赤軍派幹部の一人である森恒夫は当初から党の統一を志向していたが、獄中の日本共産党革命左派神奈川県委員会議長である川島豪らの強い反対で連合赤軍に改称された。

1971年12月20日ごろに新党結成が確認され、翌1972年1月3日、独自の中央委員会(CCと略される。委員長 森恒夫、副委員長 永田洋子、書記長 坂口弘)が結成された。



【あさま山荘事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)とは、1972年2月19日に始まる、軽井沢にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が、管理人を人質に10日間に亘ってたてこもった事件である。

人質は浅間山荘の管理人の妻。連合赤軍のメンバーは5人。2月28日に、警察が浅間山荘に強行突入した。この強行突入で警察官2人が殉職した。突入の様子は、テレビで生中継され、その日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、人質救出の瞬間は民放,NHKを合わせて90%弱を記録した。

この記事へのコメント
相変わらず、見事な資料収集ですが、歴史観、もちろん現在の課題を読み解くためのそれを大局的に持つことが大事と、例の藤田氏は言い続けていました。『例えば人間のいた時代とそうでない時代という位大きく区切れ』とさえ。また、『ある歴史的変質の時代』の注では、E.H.ノーマンの『日本における近代国家の成立』の弱点を見事に要約しています。「明治以来の日本の戦略戦術を、・・彼(E.H.ノーマン)は・・明治以後にも一貫する特徴として十把一からげに・・かつ対外関係だけ・・と看做しているが、・・本質的に異なる2段階(或いは3段階)・・があった。すなわち、自分をも一個の函数と看做す普遍的な見方を含んだ場合と、自分の特殊的利益を無条件に前提する自己中心的思考になった場合と。(或いはその自己中心主義が他者との関係を失った全き抽象的欲望へと退行した場合と。)」こんな凄い言説は僕にはもちろんできませんが、・・。また、丁寧な分析をする必要があるという一方で、大局的見地が必要と言っていますので、矛盾しているのでは、と感じられるかもしれませんが・・・。以下本論に入ります。

>>朝日が社会党や中国・朝鮮をまっとうに批判していれば
全く同感ですね。中宮さんの仰る「甘やかしちゃって堕落させた」というのは 私の実感ともぴったり一致します。
って言うところ、現在の僕の実感とはかなりずれます。っていうか、
>左翼メディアや左翼知識人が嘘や捏造してまで、反権力なるもの、反日的なるものを甘やかしちゃって堕落させたのが大きな原因
って言う中宮崇さん自身が「左翼メディアや左翼知識人」を甘やかしちゃあっていますね。
「朝日」を(もっと広く知識人・スーパーエリートをというべきかも、この点については
とりあえず大まかですが、「余白から指先へ」@【新自由主義】ネオリベラリズムにコメントしました
http://yohaku.seesaa.net/article/7385013.html#comment  Posted by 建つ at 2006年01月11日 17:09 をお読みください。)高く評価しすぎですよ。
 ちょっと話が本題から離れますが、例えば、先日お亡くなりになったテレビ朝日のプロデューサー(日下雄一さん)。『朝まで生テレビ』等で『これまでタブー扱いされてきた天皇制や部落問題』を深夜とはいえ、はじめてテレビで討論する場を設けられた画期性には敬服しますが、やはり深くそういった問題を知り、考える関係者には議論が上滑りせざるを得ないという感想を持たれているのも事実です。皆さん凄い学識・経験の持ち主が参加されても、テレビ討論の限界でしょうか、1つ1つの議論が深まる前にいつも時間切れです。金融や中国問題等についてもそれは否めません。どの問題も奥行きが深く、さらっと鳥瞰することさえテレビ番組では不可能なのかも・・・。
 中宮崇さん自身が「左翼メディアや左翼知識人」を甘やかしちゃってますね、に話を戻せば、僕の感覚では、(本当は個々の記者なり、論説委員なり、個別にちゃんと分析するべきというのが僕の基本スタンスですが、今はその力量も時間もないので、とりあえず、大雑把に『朝日』等とくくって論じますが、)有名・優秀知識人の多くは(個々の人格・心情は様々でしょうが)組織の嵌めた『奇麗事の世界』でしか、思考はともかく、論評できていないのではないでしょうか。(それは右左、官民関係ありませんが。)
* 注釈。特に従来の自民党の場合、個々の議員が比較的個人商店的なところがあって、地域の実情が中央(巨大官僚組織)とぶつかる場合なんかがよくあって、百家争鳴的に映るし、実際その面があったので面白かったのですが(昨年の『郵政民営化選挙』もそのおかげで小泉首相の勝利となりましたが)、中選挙区制が廃止されて、派閥の力学が弱まるにつれて、(各省庁の利益代表としての族議員的に編成された集団的力はないので、各個撃破されてしまい)少々有力な議員であっても、いまや陥落です。新たな結合・結社の模索が急がれます。

 組織の嵌めた『奇麗事の世界』、これが本質であり、結構悪質です。何故悪質か? 
 旧ソ連や中国等も含めた左翼を彼らがまともに批判しなかったのは、甘やかしたというよりも(後進国として)『ごまめ』扱いしていたという意味で、つまり思い上がりがある点で、悪質と僕は思うのです。国政等を担う人々の「隠蔽体質」と双璧をなす大きな誤りだと感じています(自己、正確には組織かな? 保身優先志向という点では共通していますが)。

 でもね、標的を『朝日』程度に絞っているようではぜんぜん話になりませんって言うのが現実です(もちろんできるだけ絞り込むという手法が大事なこともあります。その場合こそ個々の論者に絞るべきでしょう。)。というのも、

 巨大組織は官庁にせよ、企業にせよ独自の情報網(及びその蓄積)をそれなりに持っています(われわれ個人もそれなりには持っていますが、分析するスタッフとそれを大々的に広めるメディアがないのです)。例えば、旧大蔵省の統治方法について、「交際費」を決して認めないことが『裏金作り』を生み、普段黙認しておきながら、予算編成で対立する際に『切り札』としてそこをつつく陰湿さ(たしか『史記列伝』で似たような手法を読んだことがあります)を誰かが紹介していましたよ。警察組織はもちろんのこと、現在は『貸し金』業者や『風俗店』なんかも一定のネットワークができていて、それこそ硬軟入り乱れての暴露合戦ができる世の中です。ついでに言えば、個人情報保護法なる法律案の論議もこの面からこそ、議論を深めねばならない一大悪法案ではと感じています。
テーマが巨大すぎて(「朝日」等のリベラル?に絞ることの貧困を感じるので、そうなっちゃいました)、どうしても話がまとめられませんが、とりあえずこの辺で今日はおいときます。もっといろいろと今後も議論を深めましょう。前にも申しましたように現在は世界的に文明の危機でしょうから、ちっぽけな僕の頭ではどうすることもできませんが、・・・。毎度毎度長ったらしくてすみません。
Posted by 建つ三介 at 2006年01月13日 18:10


建つ三介さん、こんばんは♪
毎度コメントをありがとうございます。

論点は@朝日(等のリベラル派知識人)を評価しすぎるな
というとと、A組織の悪質さ、ということでしょうか。
(簡単にまとめすぎとお叱りを受けるかな? 汗)

まず@ですが、民族の歴史観ということに分野を絞れば
私は朝日に代表されるようなリベラル派知識人の
功と罪、はいくら評価してもしすぎることはないと思っています。
建つ三介さんが深く感銘を受けられた藤田省三先生の思想を
理解している方は残念ながら今でも一握りでしょう。
(むろん私も恥ずかしながらお名前程度しか存じ上げませんが)
しかし朝日新聞が大々的にキャンペーンを行った従軍慰安婦
という言葉を知らない成人は、まずいないと思われます。
この従軍慰安婦や、あるいは南京虐殺、A級戦犯の問題・・・。
戦後60年経った今になって、その歴史的評価が国内でも
割れている状況です。
なぜ今になって割れるのか・・・それは、これまでほぼ半世紀以上の間
自由に討論できていなかったからだと私は思うのです。
その自由に討論できない雰囲気・・・を作るのに
リベラル派知識人・・・とひと括りにしては問題があるでしょうけど
少なくとも朝日的言論人は、責を負うべきではないかと思うのです。
中宮氏には氏の主張があるでしょうから私が口を出すことは
慎みたいと思いますが、少なくとも私が「同感」と述べたことの
中身は、そうした理由からでした。

Aの組織の悪質さ。これには、大きくは異論はありません。
朝日の中にも色々な人物がいるでしょう。
先日も乱闘騒ぎなど起こしていたようですし・・・ね(笑
そして組織に属することによって個の主張が吸収されてしまい
最終的には無機質な組織そのものを維持するための
エネルギーへと変換させられてしまう・・・ということもわかります。
(ただ、リベラルは本来、組織より個を重んじるのが少なからず
 その本義であることを思えば、自己矛盾の哀れさは警察組織や
 商業組織より数段、勝るように思えますが)

なお、リベラル派知識人や朝日新聞が旧ソ連や中国を後進国扱いした
というのは、やや局所的な見方のように思われます。
私は朝日に勤めた経験はないので本当のところはわかりませんけどね。
しかしたとえば三十年ほど前、私が小学生の頃には
社会主義国家の北朝鮮が、それこそ「奇跡的な工業発展」を
遂げたと教科書にも書かれていましたよ(当時は韓国の方が後進国のイメージでした)。
私は、朝日の罪の本質は「中国に対し思い上がっている」
ことではなく、「中国をいつまでも被害国の位置にとどめて」
おこうとした、ことだと思います。
それが円借款などの絡みで中国にとっての利益ともうまく合致したのでしょう。
どちらも、かの国を正当に評価していない、という意味では
共通点があるのですけどね・・・。

Posted by 水無月 at 2006年01月13日 23:43
水無月 さん 丁寧な反論、ありがとうございます。若い方(大して離れていませんが)の認識がわかって興味深いです。だからもっと若い人が「そういった発言」をするのかと少し合点がいきます。

まず、>BLOGをお勧めしますよ。この点については確かに検討中ですが、細見さんにも書いた通りです。
http://finwhale.blog17.fc2.com/blog-entry-31.html#comment77
この中で、「時々、自分なりに考えて少しだけ、恐る恐る書いてみようと。」という部分だけ、事実と違うかもしれませんが、結構大胆に言いたいことを(しかも他のコメントに比して)長文で言っていますので・・。ちなみに、水無月さんも詩人かつ作家だったんですね、細見さんも歌人ですし、僕のもっとも不得手な部分です。ポエジーの極意をぜひご伝授くださいね。数学的というか合理的思考を超えた知恵の結晶が時々あるみたいですから。ところで猫を飼っているのですか?
Posted by 建つ三介 at 2006年01月14日 21:27
 
 
建つ三介さん、こんばんは♪
コメントありがとうございます。
また、細見さんのBLOGも拝見しましたが、当方を紹介して
いただいたようで、ありがとうございます。
BLOGの件は、お気持ちもわかりました。それでもやはり
私自身はまだ、BLOGをお勧めしたい気が残っているのですが(笑

ところで私自身に関してですが、詩人ではありません(汗
私などが詩人を名乗ったら、本当の詩人の方々が気を悪くなさるでしょう。
おそらく私の別BLOGをご覧になったのだと思いますが
あれは元々、日記文でした。日々書き溜めていたものから
自分が読みたい部分を抜き出して、展示しています。
一部には自分で「詩」と思うものもあり、俳句・口語短歌もありますが
いずれも素人の手慰み・・・というレベルです。お恥ずかしい次第ですが(汗
私の本業は小説です(だから作家と呼ばれたことはあります)。
ポエジーの極意を、というお話ですが、冗談でなく
それがもしあるのなら、私が教えてもらいたいくらいですよ。
(私自身は、どなたからも、特に教えて頂く機会のないまま
 小説の世界へ足を踏み入れました)
ポエジー、あるいは芸術的なセンスというものは
人から教えられることの可能なものではなく、唯一できることは
「盗む」ことだと思います。好きな作家や、衝撃を受けた作品を
とことん読みこみ、そのエッセンスを我が身に吸収する・・・こと。
それに尽きると思います。
これはもちろん、私自身にも課せられている課題なのですが。
だから本当に重要なのは、この作品が好き、と思える感性なのかもしれませんね。

猫・・・飼っています(笑
二匹いて、どちらもメスです。一匹は、配偶者より長い付き合いで
そろそろ老境に差し掛かっているようです。
Posted by 水無月 at 2006年01月15日 07:49
こんちわ。水無月さん。さて反論に再反論しますね。
>論点は@朝日(等のリベラル派知識人)を評価しすぎるな
と、A組織の悪質さ、(簡単? 汗)
どんどん絞っちゃて下さい、飛躍というか、拡散してしまう性分ですから、助さんなしではやっていけません
>まず@ですが、民族の歴史観・・に分野を絞れば、朝日に代表・・リベラル派知識人の功と罪、はいくら評価してもしすぎることはない。・・朝日新聞が大々的にキャンペーン・・従軍慰安婦という言葉を知らない成人は、まずいない。・・歴史的評価が・・なぜ今割れるか・・自由討論・・できない雰囲気・・を作るのに朝日的言論人は、責を負うべき・・。
っていう点、及び
>朝日の罪の本質は「思い上がっている」ではなく、「いつまでも被害国の位置に・・」おこうとした・・。円借款などの絡みで中国・・の利益とも合致・・。

についてですが、前者(歴史的評価が・割れている状況)は朝日新聞(確かに影響力あるが)というリベラル派や左翼の独自の考え方によるもの(罪)ではありません。戦後処理の問題はむしろ政府・自民党によってこそ曖昧にされてきた、結果的には特に経済主義という形で政治議論は左右両方によって放置されてきた。(この点は前に紹介した野田正彰氏らの鼎談がコンパクトに核心を突いています。独仏等とは大違いです。食うことに比重を置いた後進国(深刻にして神国?)レベルだったとさえ言え、ソ連・中国等もこのレベルだった。)むしろことあるごとに政治論議を呼びかけた朝日等の方が誠実とさえ言えます。

「円借款などの絡み」についても70年代のキッシンジャー訪中が画期。社共が何を言っても政府は動きません。経済主義者・田中角栄元総理が、日中国交回復やその後の経済協力を実現できたのも米中関係の枠組みこそが主で、朝日や社共はおろか日本政府さえも従です。もちろん高度成長期の貯金があったればこそできる対米側面支援(中ソ対立を活用した)です。ちなみに、G7という枠組みも遠因は同じ。大戦後、超越的地位にいた米国も60−70年代には徐々に大国の一つに転落しつつあったので、貿易黒字国(特に日本や西独逸)に世界戦略の経費負担を求め始めたのが実態です(ついでに言えば、85年のプラザ合意に対して独逸はユーロで応え、日本は円高負担で頭をなでてもらいました)。中国借款を朝日が(どんなに世論を喚起しても)誘導する能力はありません。中国に円借款したのは政府(時の田中派でしょう)ですし、そんな誘導ができるのは米政府ぐらいです。

>朝日の罪の本質は「中国に対し思い上がっている」というのは確かに正確じゃないかも知れませんね。旧ソ連や中国等も含めた左翼を『ごまめ』扱いしているというのは、換言すれば、米英(仏もかも。前2者はいわずと知れた19−20世紀の世界帝国、幕藩体制で言えば江戸幕府的に世界経営の苦悩も責任も経験した超大国ですし、仏は欧州限定ですが、外交経験豊富な近代国家)に対しては、日本も含めて近代国家いう点で、後進国という意味で、どんなにツッパテみても、世界経営するのは並大抵のことでないことは左右を問わず、分かります。一方の超大国という事実がたとえあるにせよ、ソ連を米英並みの近代国家と尊敬する知識人はいませんでした(そのことはたとえ藤田省三を知らずしてもです。政治(学)に関わる人でもし知らなかったら、知識人ではないでしょうが・・。)。社会主義国に対しては、まあがんばりやか(右から中道)、一緒にがんばろう(左から中道)がいいとこでは?
いつのまにか
>リベラル派が旧ソ連や中国を後進国扱いしたというのは、やや局所的な見方・・三十年ほど前、・・北朝鮮が、「奇跡的な工業発展」を遂げたと教科書にも書かれ(韓国の方が後進国イメージ・・)。

について、論じていますね。ソ連・中国・北朝鮮。まあ、括ってもいいでしょう。資源の点でそれぞれライバル国より恵まれていますね。でも、民主主義(自由選挙・報道の自由等広い意味での政治)は言うまでもなく、近代技術(広い意味での経済)の基盤が未整備なまま20世紀の戦争・革命時代を迎えた後進国です。ソ連の5カ年計画が、米(・英・仏・独)資本の技術援助によって、『離陸』しているのは、研究者なら当然知っていたでしょうし、そのソ連の援助で行われる社会主義国の『発展』が、たかが知れているのはこれまた当然では?(アメリカのホームドラマや英国の人形劇等の描く技術・消費水準なら、庶民でも知っていましたし・・。だからスプートニク等は驚きだった。)その辺の事情を(左右の知識人が、その点で論争していたのは覚えていますが)『隠蔽』と呼べるとして、ぼかしたのは罪でしょうか? 「まあがんばりやか、一緒にがんばろうがいいとこ」をどう評価するかの問題であり、「どうでもいいや」の問題でもありますね。局所的なのは一体誰でしょう? やっぱり僕?

>Aの組織の悪質さには・・異論はありません。・・リベラルは、組織より個を重んじるのが・・本義・・、自己矛盾の哀れさは・・)
もしかしたら、アナーキストっぽく、思われているかもしれませんが、そして、水無月さん自身も、憧れがあったりして・・。でも、どんな独裁政府でさえ、治安維持法のような悪法でさえ、無政府より社会があるほうが人間には住みよいのが悲しいかな人間。(狼の社会で育った少女の話等読んでいると、人間社会に連れてこなかった方がよかったとさえ思います。この辺の「感じ」はまた後日ね)「リベラルは組織より個を重んじ」は、ホッブスの近代国家論以来の難問です。現在もテロ対策と『自由』との尽きない議論がありますね。おいおい、議論しましょう。毎晩、精力的な読みと書きをされておられる水無月さんへ。建つ三介より。
Posted by 建つ三介 at 2006年01月15日 23:53
追伸。やっぱり僕もブログ開くべきかな?・・・。
追々伸。うちにも2匹いたのですが、4年前、「かりんとナット」はナット<15歳>だけに・・正確にはいわナットに。灰色猫さんにもよろしく。
Posted by 建つ三介 at 2006年01月16日 00:00


@

建つ三介さん、こんばんは♪(笑

>やっぱり僕もブログ開くべきかな?

そう思いますよ(笑
知識の量が建つ三介さんの方が圧倒的に多く、私もすべてを理解して
お返事できているわけではありません。
そのことを、申し訳なく思っています。
建つ三介さんからすれば物足りなく思う部分も多々あるでしょうから
それを解消する意味でも、ご自身のページで発表し
広く意見を募ってみるのが良いのではないでしょうか・・・。

とはいえ、せっかく頂いた反々論ですから、できる範囲で
お相手させていただきます(笑


>戦後処理の問題はむしろ政府・自民党によってこそ曖昧にされてきた

曖昧に先送りされてきたのは戦後処理・・・だけではないような気がします。
自衛隊もそう。在日米軍もそう。まあ、在日米軍の問題は
日米安保と結びつきますがね。

>結果的には特に経済主義という形で政治議論は左右両方によって放置されてきた

これはおそらく、結果的に、日米安保を結びその三十年後には
海外(湾岸戦争)へ派兵し・・・そうした路線でもって
日本の経済的繁栄は維持されてきた。
平和への希求という意志も、憲法からの反自衛隊運動も、反核運動も
戦後の高度経済成長の中で曖昧にもみ消されてきた、そういうことを
仰りたいのではないかと思います。

では私は問いたいのですが、戦後日本人は、経済的繁栄を
求めてこなかったのでしょうか?
平和憲法に殉ずることを
経済的繁栄や西側同盟の一員として認められる・・・こと以上に
求めていたのでしょうか?

私はすでに、回答は出た、と思っています。
回答は、すでに国民(有権者)が出しているのです。
その時々の選挙結果・・・という形で。

朝日新聞に代表されるリベラル派知識人を私が批判するのは
その日本人の総意という意志を、これまで、そして今も
一度たりとも真摯に受け止めようとしなかったように見えるからです。

現在の日本人の中には、憲法を改正してでも、自衛隊を持つしか道は
ない、と考えるに至った人が、徐々に増えてきています。
それは、憲法を改正せず、自衛隊も持たずに、現在レベルの
経済的繁栄を可能にする実現可能な政策が、国民の前に
提示されていないからです。
このことはこれまで60年間、一度も真面目に議論されたことは
なかったように思います。今後も恐らくないでしょう。
そして朝日的リベラル派知識人は、経済的な繁栄やその保証をせずに
ただ「平和憲法は素晴らしい。だから守れ」と説く。
それでは議論になりません。

朝日に代表されるリベラル派知識人は、日本が方向を定める
その時々で、確かに時の政府に「政治論議を呼びかけた」かもしれません。
しかしそれは、私の目には議論未満のものとしか、映らないのです。

朝日に代表されるようなリベラル派知識人が、そうした日本人の本音を
もっと真摯に受け止め(だから日本人はダメなんだ、という具合に
頭ごなしに批判するのでなく)、許容していたら、経済的発展を
まず前提とした議論が、広く国民の間で、もっと自由にできていた
のではないかと、私は想像するのです。
衣食足りて礼節を知る・・・です。
衣食の部分は自民党(つまり保守)に任せ、礼節だけを説かれても
困ってしまうのですよ。


次に円借款ですが

>中国借款を朝日が(どんなに世論を喚起しても)誘導する能力はありません。

これに関しては、たとえば次のようなことを想定しています。
朝日等のリベラル系マスメディアが、靖国やいわゆる従軍慰安婦問題
(一度「Google」http://www.google.com/intl/ja/ で「従軍慰安婦」と
 検索してみてください。リベラルから新保守までの主張が読める
 でしょうが、たとえば中宮氏などは、これをそもそも朝日の「捏造」と
 する立場なのだと思います)
で「世論を喚起」します。すると、それに呼応するように中国や韓国が
態度を硬化させます。政府がすかさず「お詫び」をし、経済援助を積み増しする
・・・というようなこと。
もちろん、援助をする主体は政府です。朝日が世論喚起をした結果ではありません。
しかし、「お詫び」を当然のものと受け止める空気作りには貢献していたのでは
ないでしょうか。私はそれを、「中国を被害国の位置に留めようとしている」と
表現したのです。
その部分では、政府の「援助したい」思惑に、うまく朝日的リベラル派の言論人が
利用されていた、ということかもしれませんね。


↓へ
Posted by 水無月 at 2006年01月16日 02:48

A ↑から

なお、昨今なにかと話題の小泉氏ですが、彼の画期的なところは「靖国参拝し」
かつ「経済援助をしない(むしろ縮小しようとしている)」ところではないかと
私は見ています。そしてそれが一部の国民には受け、中国の神経を逆撫でしています。
これに関しては、私自身が述べるより、私が当BLOGでリンクもしている
友人のkanteさんが、以前に別のところで簡潔にまとめてくれています。
(無断引用ですが、あとで謝れば許していただけるでしょう 汗)

http://chibikki.com/index.php3?Contents=303&Now_Writer_Id=2851&Now_Year=2005&Now_Month=
10&Now_Day=19

↑お手数ですが、アドレスを繋げたうえで、どうぞご覧ください。
私は中国を批判する気分にはなれません。しかし朝日新聞や旧社会党に
代表されるような「左派リベラル」は本当にだらしないと思います。
彼らをかばおうとは、もう、全く思えないですね。
もちろん、ひとくくりに論じてしまうのは危険であり、リベラルな立場だけれども
朝日や旧社会党とは一線を画してきた方々(も中にはいるでしょう)
にとっては迷惑千万な話でしょうけどね。


>後進国

先のコメントでも述べた通り、私は朝日新聞が、中国やソ連や北朝鮮
(どんどん増えてますね 笑)を実際にどう看做していたかは知りません。
しかし建つ三介さんも言われる通り、それは
「まあがんばりやか、一緒にがんばろう」であって、むしろ好意的な眼差し
だったのではないですか? 決して見下すような立場にいたとは思えないのです。
だから「局所的」と書きました。

>組織

これに関しては、先に頂いたコメントで、建つ三介さんが組織に関して話して
おられるものに呼応したもので、それ以上の意味はありません(笑


なお、全体に関して感じたことを以下に少し補足しますが
私は「朝日に代表されるようなリベラル派知識人」を批判することは
していますが、彼らを「敵」と看做しているわけではありませんよ(笑
なぜなら彼らは(あくまで私の大雑把な認識ですが 汗)すでに現代の
日本政治においては敗れ去った思想(というより発想?)であり、今後も
おそらく、彼らに可能なのは破れ続けることだけ、だろうと思うからです。
どういうプロセスを経て破れ、解体してゆくのか・・・という興味は
ありますが、それ以上のものはありません。

私にはむしろ、非・朝日的な発想をするリベラル派知識人が、今後日本に
現れるかどうか、あるいは、それはもう現れているのか
とすればどこにいるか・・・ということに、興味関心を抱いています。


建つ三介さんも猫を飼ってましたか(笑
ひとりになってしまったナット君(さん?)に、どうぞよろしくお伝えください。


(文字数制限に掛かったようで、ふたつに分けました)

Posted by 水無月 at 2006年01月16日 02:49
追記(汗

戦後処理、歴史観に関して抜けていますね。

>前者(歴史的評価が・割れている状況)は朝日新聞(確かに影響力あるが)というリベラル派や左翼の独自の考え方によるもの(罪)ではありません

平和憲法が本当に素晴らしいものなのか
(それは押し付けられたものであるから制定し直すべきではないか)
A級戦犯の罪とはそもそもなにか
戦前の日本の罪、とはなにか
日本は近隣諸国に対し、いつまで反省し続ければいいのか
という「議論自体を封じる」ことに、朝日的リベラル派知識人
(というより、言論人というべきかも)は寄与していたと思います。
これまではそうした議論を始めると、途端に「右翼」「軍国主義者」と
呼ばれ、一切合財が「右翼の言説」と切り捨てられてしまった。
少なくとも、朝日新聞が、そうした言説を議論の対象として正面から
取り上げたことはなかったように思います。
議論自体が存在しないものとされてしまったために、国民が議論に参加する
機会も失われてしまった、ということはないでしょうか? だから今になって
「A級戦犯のなにが悪いの?」と問われた時に、もう答えられない
そういう日本人が増えてきてしまったように思うのです。

なお、私個人のA級戦犯に関する考えは、こちらにまとめてあります。
http://yohaku.seesaa.net/category/937960.html
今も大筋では変わっていません。
私は、日本人の本音は(少なくともかなりの割合の人々が)
A級戦犯の慰霊を望んでいる、のだと思います。
私の言う戦後処理、歴史観、とは、そうした視点からのものです。
つまり日本人自体が、いまだ先の大戦を整理しきれていない。
逆に、実は整理しきれていないのに、「もう整理したはずだ」と
ばかりに主張する人々が、整理する、という作業を
長く国民から奪ってしまった、という一面があったろう、と思うのです。

現在、たとえば「南京虐殺はなかった」「従軍慰安婦はなかった」
と主張する人々がいます。
私自身は歴史家ではありませんし、資料を自分で発掘する力も
ありません。けれども、そういう論議自体が起こることは
決して悪いことではないと思います。
どちらの主張の方も、どんどん議論し、証拠を積み上げればよい。
その中で、国民一人一人が判断した結果の総体が
民族の歴史観、と真に呼べるものなのだと思います。
その議論自体を「右傾化」「ナショナリズム」と糾弾することしか
できないのなら、「右のなにが悪いの?」「愛国心のなにが悪いの?」という
人々を増やしていくだけの結果に終わるように思います。

Posted by 水無月 at 2006年01月16日 07:00
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