2006年02月07日

ペンは剣より強いか(風刺画問題)

ムハンマドの風刺画に端を発する「表現の自由」騒動に関する一文です。いまや世界中に伝播しましたね。
まずはじめに、現時点までの事件の経過をまとめてみます。主なソースは【Google NEWS】で検索できた日本語新聞です。


2005年9月30日
 デンマーク保守系有力紙ユランズ・ポステンが「表現の自由」についての記事と共にイスラム教預言者ムハンマド(モハメッド、マホメットと表記されることもある。キリスト教のイエスに相当)の風刺画を掲載。
 導火線のついた爆弾の形をしたターバン姿のムハンマドが描かれたもの(イスラム教では偶像崇拝を否定しており、ムハンマドの肖像は特に重い禁忌となっている。今回は異教徒の行為、しかも戯画化ということで、イスラム教への冒涜と同教徒らは受け止めたようだ)。

  10月上旬
 デンマークのイスラム教徒団体が抗議声明。

2006年1月5日
 デンマークのムラー外相とムーサ・アラブ連盟事務局長が電話協議。

(この頃まで)デンマーク政府は抗議を静観。

  1月10日
 ノルウェーキリスト教系誌マガジネットが風刺画を転載。

  1月25日
 サウジアラビア宗教界最高権威「大ムフティ」が、デンマーク政府に対し、ユランズ・ポステン紙の処罰を求める。

  1月26日
 サウジアラビアが駐デンマーク大使を召還。

  1月末
 中東諸国でデンマーク商品不買運動広がる。(期日未詳)民間レベルでもデンマーク国旗を燃やすなどの抗議活動が発生。

  1月29日
 リビアが在デンマーク大使館を閉鎖。

  1月30日
 パレスチナ自治区ガザで武装グループが欧州連合(EU)事務所を包囲、謝罪要求。

 ユランズ・ポステン紙編集長が謝罪。「掲載した風刺漫画はわが国では法律違反ではないが、多くのイスラム教徒の心を傷つけた」

  1月31日
 ユランズ・ポステン紙に爆弾を仕掛けたと脅迫電話。社員一時避難の騒ぎ。

  2月1日
 仏紙フランス・ソワールが朝刊で風刺画転載。社説で「漫画には犯罪性や差別的な意図はない」と主張。
 独の保守系有力紙ウェルトが1面で漫画転載。「西洋では風刺が許されており、冒涜する権利がある」「民主主義とは言論の自由を具体化したもの」と主張。

  2月2日
 フランス・ソワール紙のエジプト系フランス人社主ラカ氏が謝罪。同紙編集局長を更迭
 ノルウェーがヨルダン川西岸の代表部を閉鎖。
 英BBC放送が風刺漫画を放映。

   〜2日
 シリアがデンマーク大使召還。

  2月3日
 ラスムセン・デンマーク首相がイスラム教国などの駐コペンハーゲン大使と会合。「新聞社はより明確な形で謝罪すべきだが、政府の謝罪はあり得ない。表現の自由は最重要の原則だ」との同首相に対し、出席したエジプト大使は「デンマーク政府は事態改善のために何らかの手を打つべきだ」

 フランス有力紙ルモンドが、「私はムハンマドを描いてはいけない」というフランス語の文を縦、横にたくさん書いて、全体としてムハンマドとみられる人物の顔が浮き彫りになる漫画を1面に掲載。社説にて「イスラム教徒にはムハンマドを風刺した絵はショックかもしれないが、民主主義においては、人権を踏みにじるケースを除き、言論を取り締まることはできない」と主張
 フランス・ソワール紙の編集局長解任について、同国のジャーナリスト組合が解任を非難する声明を発表。サルコジ内相は「行き過ぎた検閲より、行き過ぎた風刺の方が望ましい」と表現の自由を尊重する立場を表明。
 同国カトリック教会のリヨン大司教は2日、AFP通信に「イスラム教徒が受けた傷は理解できる」と発言。フランス司教協議会は「表現の自由には個人の信仰への敬意が伴うべきだ」と発言。
 同国ドストブラジ外相は、「(ムハンマドを)過激派やテロリストかのように描くのは異常」としながらも、抗議行動の中で同国旗が焼かれたことは「容認できない」と不快感を表明。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)の松浦晃一郎事務局長が「表現の自由と、宗教上の信念の尊重という2つの原則が対立する状況を生み出さないよう訴える」と声明を出す。

 デンマーク紙から転載したノルウェーの新聞編集者がロイター通信に「掲載を後悔している」と語る。掲載以降、殺害を予告するような脅迫状が多く送られてきたといい、「こんな状況になることが分かっていれば掲載しなった。表現の自由をあきらめることを考えればぞっとするが、もうたくさんだ

 アメリカ国務省のヒギンズ報道官は欧州各紙について、「このようなやり方で宗教的、民族的な憎悪を煽ることは受け入れられない」と批判。
 マコーマック米国務省報道官は「漫画は(イスラム教徒にとって)侮辱的だ」と述べ、イスラム教徒に同情的な立場を示す。イスラム世界での反米感情の緩和を期待する思惑か? 米国の主要紙は風刺画の掲載を見送っている

 風刺画作者十二名のうち四名が匿名でインタビューに応ずる。これによればユランズ・ポステン紙は、メディアがイスラム教に遠慮して自己検閲をしていることに抗議する目的として、風刺画の作製を依頼したらしい。四名は同紙に関し「扇動的な反動主義者の集団」と非難。一方で「風刺画に対する暴力的な反応は、表現の自由がいかに大切かを知らしめる効果があった」。

   〜3日
 欧州7カ国紙(フランス、スペイン、イタリア、オランダ、スイス、ドイツ、チェコ)が風刺画を掲載。
 欧州連合(EU)は、デンマーク製品不買運動が起きているサウジアラビアに対し「運動を助長すれば世界貿易機関の規定に抵触する」と警告。
 ロシアでイスラム教団体が欧州の相次ぐ漫画転載を非難。
 インドネシア外務省報道官が「言論の自由は、宗教に対する冒涜を正当化することはできない」と批判。
 トルコのデンマーク大使館前にデモ隊押しかける。
 デンマーク政府が国民に対し、中東への渡航に注意を呼びかける。
 ノルウェーがパレスチナ自治区からの一時退去を促す。
 パレスチナの武装勢力が風刺漫画の掲載国へ警告。デンマークへのテロ予告。
 ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区でドイツ人男性が武装したパレスチナ人に一時連れ去られる。
 パレスチナ自治区ガザ、イラク、トルコ、パキスタン、インドネシア、マレーシアでデモが発生。

  2月4日
 ガザでパレスチナ人数十人がドイツの文化センターを襲い、窓ガラスやドアを破壊。欧州連合(EU)関係の施設も投石の被害受ける。
 シリアのデンマーク大使館前に集まった数百人のデモ隊が投石、放火する暴動起きる。ノルウェー大使館も放火された。デンマーク・ノルウェー両国政府は自国民にシリア出国を呼びかける。

 マレーシア英字紙サラワク・トリビューンが風刺漫画を転載。編集長「漫画を批判する記事に作品を添えて、そのひどさを際だたせようとした」。翌5日一転して1面にて編集発行人と論説委員会の共同声明を掲載。「転載するべきではなかった。読者には漫画を無視してほしい」と謝罪。転載について「週末版編集長が独断でやった」。これを受け編集長は辞任。

 インドネシア・ユドヨノ大統領「風刺漫画は人々を宗教によって分断するものだ」と批判すると同時に、「デンマーク側の謝罪を受け入れ、秩序を守ろう」と国内に呼びかけ。
 シンガポールでも閣僚が相次いで欧州メディアの風刺漫画掲載を非難。
 パキスタン外務省が、同国駐在の欧州9カ国の大使を呼び抗議。

 ニュージーランドにて2紙が問題の風刺漫画を転載。翌日抗議デモ発生。クラーク首相は6日、「(政治家は報道を規制するべきではないが)これは報道の自由の問題ではない。風刺漫画の掲載は、我が国の社会や世界の一体化に逆行する」。

(この頃)アナン国連事務総長らが沈静化を呼び掛ける。

  2月5日
 レバノンでデモ隊がデンマーク領事館に放火。数千人が参加か。騒ぎで約三十人が負傷。サバア内相が責任を取り同日辞任。

   〜5日
 ヨルダンで漫画転載した週刊2紙に罰金支払いが命じられ、編集者らにも逮捕状が出される。同国アブドラ国王「表現の自由で正当化できない犯罪」。

  2月6日
 インドネシアで過激派によるデンマーク大使館前など複数の場所で投石を伴う激しい抗議デモが発生。デンマーク政府の公式謝罪を要求した。インド、タイでもデモ発生。

 アフガニスタン国内各地で抗議デモ発生。一部が暴徒化し警官の発砲などで計4人が死亡、19人が負傷(デンマークは同国に展開する北大西洋条約機構主導の国際治安支援部隊に、約百七十人の部隊を派遣している)。

 イランがデンマークとの通商関係断絶とデンマーク記者のイラン入国禁止を発表。「表現の自由には責任が伴う。風刺漫画の掲載を許した国は自国の無責任さを示した
 同国では約400人が漫画掲載への抗議デモを行い、デンマーク大使館に石や火炎瓶を投げ付ける騒ぎ。

 デンマーク政府、中東や北アフリカなどの14カ国への渡航自粛を国民に呼びかける。
 欧州連合(EU)のソラナ共通外交・安全保障上級代表「欧州市民を標的とする暴力や脅迫を強く非難する」との声明発表。

 この日発売予定の米誌ニューズウィークは、ユランズ・ポステンの担当編集者フレミング・ローズ氏との会見内容を掲載。同氏は、ムハンマドを笑いの種にするよう漫画家に頼みはしなかったと釈明した上で、謝罪の意思について「何のために(謝罪するのか)」と否定。新たな火種?




不幸な事態には違いないでしょうね・・・。

事態が錯綜していますが、とりあえず私見としては、掲載したことをあとで後悔する程度の覚悟しかない編集氏・・・には、表現の自由という言葉は口にして欲しくないですね。一方にとってはその程度の重みしかない表現の自由であっても、それを行使した結果、他方では死者まで出してしまう場所が同じ地上に存在するということを、表現に携わる者は片時も忘れるべきではありません。
そうした覚悟の上での表現の自由、でなくて、どうして剣や爆弾に対抗できるでしょう。

その意味では、謝罪を拒否したフレミング・ローズ氏の方がまだ筋が通っていると思います。ただし、氏の主張は本当に、爆弾ターバンの風刺画でなければ主張できないことだったのでしょうか。他者の権利を害することなしには主張できないというのは、そのほとんどすべての場合において、表現側の未熟さによるものだと私は考えています。氏の心意気は立派なものと好意に解釈できるとしても、編集者としての技量が圧倒的に不足していた事実までは隠せません。その謙虚な反省の弁を聞きたいものです。

ル・モンド紙の見識には流石に成熟したものを感じました。
民主主義においては、人権を踏みにじるケースを除き、言論を取り締まることはできない」
民主主義においては、です。この前置きは深く噛み締めるべきでしょう。
そして民主主義がもはや相対的な価値観でしかない事実を、欧州メディアも、我々ももちろん、忘れるべきはありません。とりわけ米国には、強く思い出してもらいたいところです。
なおイランの発言「表現の自由には責任が伴う。風刺漫画の掲載を許した国は自国の無責任さを示した」に、民主主義でない同国の表現の不自由さが如実に現れていることも、忘れずに記しておきましょう。

最後に、米国の厚顔無恥ぶり・・・。実に堂に入ったもので、吐き気のほかはなにも感じられないほどです。
「このようなやり方で宗教的、民族的な憎悪を煽ることは受け入れられない」
「漫画は(イスラム教徒にとって)侮辱的だ」
米国がイスラム諸国に「自由」を輸出するためにした「やり方」の方が侮辱的ではない、という認識なのでしょうか? 空爆の方が風刺漫画よりマシだ、とでも? あれほど「自由」「自由」と叫んでいたのですから、態度はきちんと一貫させてもらいたいものです。米国の信望する「自由」の、なんという浅さでしょう。


デンマーク紙は自国で新聞を発行したのであって、それをイスラム教国の上空からバラ撒いたわけではありません。それでもこれほどの騒動が起きてしまいました。今回の騒動は、表現の自由 VS 信仰の自由、というだけでなく、宗教を相対化する民主主義的価値観 VS 人権を相対化するイスラム教的価値観、の対立をも含んでいると解釈すべきでしょう。互いに自らを絶対視し、相手を相対化しているのですから、和解は容易ではありません。
これをもって「文明の衝突」と呼ぶのであれば、それを解決するのはペンでしょうか、剣でしょうか。今風にいうなら、インターネットなどに代表される情報化圧力でしょうか、それとも武力でしょうか、となるのかもしれませんね。
いずれにせよ、こうした価値観の衝突に由来する同種の事件は、今後も避けられないものと予想しています。人類はそれをどのように克服できるのか、あるいはできないのか・・・注意深く見守ってゆくつもりです。

posted by 水無月 at 10:21| Comment(30) | TrackBack(6) | その他国外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
流れがまとめてあって、事件のことがよくわかりました。ありがとうございます。
やはり人というのは自分の置かれた環境によって、いろんな感じ方をするものだと思いました。
イスラム教徒でない人には、侮辱されたと怒る人の気持ちはわからないでしょう。すぐ暴力に頼る野蛮な奴らだと思うかもしれません。

毎日コーランを読み、聖都の方角に数時間おきに土下座する彼らの姿は、異教徒(無宗教)の私には理解出来ないものに映ります。
でも、言論の自由と同じように、彼らに取っては信仰は命をかけるほど大切なもの。アイデンティティーを形成している背骨。
尊重しなければならないと思います。

私にとっては今回はアメリカの姿勢が一番好ましく思えます。
一方で戦争をふっかけておきながらよく言うよ、というのももっともな意見ですが、それとこれとは担当者も違うでしょうし、今回の方がアメリカ的良識がかいま見れて、うなずける気がします。

Posted by dashi at 2006年02月07日 13:33
こんにちは〜。
米国についてですが、今のブッシュ政権の基盤がキリスト教原理主義者ですしね。ああもいうんでしょうw
ただ、現在の米国(キリスト教)やインドネシア(イスラム教)やタイ(仏教)のような宗教勢力の強いとこでも民主主義国家が成立しているので、宗教と民主主義が単純に対立するとは一概に言えないのではないしょうか。

俺は、今回の件は根本的には欧米に対する政治的な怨念があって、その引き金の一つになっただけではないかと推測しています。
Posted by ガク at 2006年02月07日 13:58
すいません訂正します。
>欧米に対する政治的怨念

「欧米に対するイスラムの歴史的怨念と、イスラム(欧米で頻発するテロ)に対するヨーロッパの政治的な怨念」です。
つまり実際には併存可能な宗教と民主主義を、政治的怨念から両者が意図的に対立させている節が有ると思う訳です。
Posted by ガク at 2006年02月07日 14:06
>宗教を相対化する民主主義的価値観 VS 人権を相対化するイスラム教的価値観
構図はちょっと、引っかかる。

普遍を目指す相対主義(西洋キリスト教型・イスラム型・仏教型等々) VS 狭小な(切羽詰った狂信的)原理主義一般
の方がまだましなのでは?

さて、「ペン VS 剣」ですか? 答えは簡単、人間である以上、言葉の力の方が強いでしょう。

証拠? シュリーマンの「古代への情熱」でこんな一節があった。(細かい内容は曖昧ですが要は)トロイの遺跡に達するまで、出てくるのは、瀬戸物とかのガラクタばっかり。金・銀、財宝はその遥か下に・・・。壮大な英雄の戦いの後に、続いたのは、土に返るが如き、日常。剣よりも言葉が支配する協力社会が繰り広げられた(少なくとも大した王朝はその地には出来なかった)と僕は理解しています。

もちろん、これでは論点ずらしになりますね。
そのペンを持つ先進工業大国は、剣のみならず、メヂアもインフラも牛耳っていますからね、グローバルに。米国の旗の下、アキレスの時代とは比較にならない規模で。その(巨大な生産と消費に憧れ、妬み、疼く)歪みが各地で噴出している。

それでも、将来のホメロスは(それが地球人ならハッピーですが)謳うでしょう。そして、ガラクタが積みあがる(万国旗もその一つ)。ペンがそれらを記録するでしょう。或いは言葉が、詩が口承で、おとぎ話として伝わる。残酷な?滑稽な?
として・・。これが、「歴史の整数」でしょう。
Posted by 建つ三介 at 2006年02月07日 20:12
こんにちは。
目に見えない物は信じないという思考を根本に据えている、西洋科学文明を信奉する「信者」の方々の心を解きほぐし、目には見えなくとも「有る物は有る」と物事の本質を見抜く能力を備えている文化圏の人々との「共創社会」を構築する為には、もう少し時間が必要だと思います。
 釈迦でさえ「行って帰って五千年」の時を刻んで、人々に教えを説くことが出来るようになったのですから。
Posted by スパイラルドラゴン at 2006年02月07日 22:07



皆さん、コメントありがとうございます。

>dashiさん
 こちらこそ、いつもありがとうございます。
 仰る通りで、信教は尊重しないといけないでしょうね。911以降、世界はますます殺伐としてきているわけですが、私は結局、宗教を含めたありとあらゆるイデオロギーは、それが論理的あるいは道徳的に正しいとか善である、というような意味づけはもはや価値を失う時代にきた、と思っています。そのイデオロギーの正しさ、もしくは強靭さというものは、そのためにどれだけ多くの人間が命を賭けることができるか、で決まる時代に来た、と。
 民主主義国家の中では表現の自由は守られるべきであり、イスラムの人々は新聞社の公式謝罪でもって納得「すべきだ」というのは、納得できないと命を賭けて抗議する人間の前では無力です。よね? であれば、民主主義(この場合は言論の自由)の価値観を信望する者もまた、必然的に命懸けかどうかを問われてしまう。要は、そこまでの覚悟がなければ他の価値観に挑戦するなんて真似はすべきじゃないし、迂闊にもしてしまった挑戦は負けるだけだろう、ということですが。
 アメリカ的良識・・・。今回は、実利主義の立場が表に出たのだと思います。私は、自由、ということを少なくとも当事者の何人かは命懸けで考えているに違いない欧米メディアの方に、未来を感じました。
 もっとも、最終的な判断は、私もアメリカが正しいと思っています。軽々しく騒ぎ立てるより何倍もマシ。ただ、その際のコメントに、思想が感じらず失望した、ということですね。

>ガクさん
 宗教と民主主義が一概に対立する、とは言えないと思います。私も。そもそも、民主主義は宗教的寛容を前提としているはずですし。
 ただ、最近になって民主主義が通用しない場面が出てきた、ということが、意味を持つのではないですか? とりわけ欧米は、民主主義の母胎となった土地でもありますし、歴史的にも、カトリックやらプロテスタントやらユダヤやら・・・とのさまざまな軋轢を経て、民主主義を「開発」したはずです。だから、その欧州での民主主義の失敗は、世界的な衝撃をもたらすと見ています。今後においても。
 なお、欧米とイスラムとの件ですが、まず、「欧米」とひとつに括るのは乱暴ではないですか? 仏・独など旧大陸各国はイラク攻撃には最後まで懐疑的でしたし、英米のブレーキになろうと努力してきました。そのことはイスラム社会の側も当然知っていますし、米国に比べれば欧州の方に親和感を抱いているはずです。
 今回の事件は、半年ほど前フランスで起きた暴動と、同根の現象だと思います。そしてさらにその前にはイスラム教徒の女子学生にヴェールを外すよう命令した、フランスの裁判がありました。要するに、欧州は自己の信望する自由や平等といった民主主義的価値観を、これまで、それなりに誠実に志向してきたのだと思います。そしてだからこそ、その結果、イスラム系移民が増えてしまった。これは仏・独に共通する事態です。欧州は彼らに門戸を開け、教育も与え、人権も与えた。しかしイスラムの人々は自らの信仰を放棄することなく、日に三度の礼拝などさまざまな戒律を律儀に守ってます。そのひとつがヴェールであり、偶像崇拝禁止、なわけで。それは欧州人には不合理に見えるでしょうし、第一目立ちます。偶像崇拝禁止は表現の自由という欧州的価値観と真っ向から衝突する。「彼ら」は欧州にいながら欧州の価値観に歩み寄ってこない・・・欧州人には、そういう基本的な不満があると思います(これが民主主義の限界と私が感じるものです)。
 失業率の増加や、テロの不安など、不幸な外部要因もありますが、私は根本的には、多文化の受容を建前とする民主主義社会の理想と現実・・・の破綻の現状があると思います。EUにトルコが加盟できるかどうか、も同じ問題だと思いますね。
 なお、アチェを抱え、なにかあれば真っ先に抗議活動やテロの起こるインドネシアが、民主主義と宗教との葛藤を克服できた国家だとは、私には思いないのですが(汗

>建つ三介さん
 引用の部分は、「これをもって『文明の衝突』と呼ぶのであれば」の条件つきです。そして本文では明記しませんでしたが、この場合の「文明の衝突」とは、欧米のキリスト教的価値観とイスラム教的価値観をそれぞれ「文明」と看做しています。今、そういう言説が流行ってますからね(笑
 そして建つさん的な対立の構図ということであれば、私は
 すべてを相対化できるという信仰 VS 相対化され得ない価値観があるという信仰
の対立ではないでしょうか、と申し添えたいと思います。私にとってはどちらも信仰に過ぎず、私は「この双方を相対化した」地点からモノを見たいと考えています。
 >答えは簡単、人間である以上、言葉の力の方が強いでしょう。
 人間は、人間である以前に生物です。命を持つ生命であり、獣でもあります。私はそう思っています。
 それが残酷であろうと滑稽であろうと、私にはあまり興味が持てない・・・ですね。遠い将来その歌を聴く者に私の知り合いがいないことは確実ですが、明日殺される人間が私の友人でないとは限りませんから。だから私は、現代の中で、現代という時代を、現代人に向け、記したいと思います。

>スパイラルドラゴンさん
 長い時間が必要なことはわかります。私にできることはほとんどなにもないでしょう。だからこそ私は、今という時代を記録しておきたいと考えています。
Posted by 水無月 at 2006年02月08日 01:12
管理人の下記コメントには異議があります。
>1 ただ、最近になって民主主義が通用しない場面が出てきた、ということが、意味を持つのではないですか?
>2 他者の権利を害することなしには主張できないというのは、そのほとんどすべての場合において、表現側の未熟さによるものだと私は考えています

1 理念としての完全な民主主義が実現されたことは史上かつて無い。なんらかの差別があったし現状でもある。日本においても、そうであることは誰でもご存じだろう。部落問題しかり、天皇問題しかり。下手な発言をすると銃をぶち込まれる。
2 物理的恐喝でないかぎり、表現の自由は認められるべきであり(これは、民主主義ではなく、表現の自由という価値。もちろん、自明のものではなく、人工的なものだ。その限り、国連主催で、表現の価値はいかなる場合にも認められる
ものなりや、と題して国連主催で長期フォーラムを開催するなどしたほうがよかろう。それで意見が割れれば、ある民族圏では表現に制限有り、注意されたし、という制約を世界のマスコミや市民も自覚せざるを得なくなる。これは理念の縮退として絶えられない、という向きもあろうが、わたしはもう、そういうことにこだわらなくなった。しかし今回のように絵や漫画のようなものはともかく、言語による場合は認められるべきだろう日本でも死刑宣告されたらシュディ作品の翻訳者が大学構内で殺された事件がある。もってのほかである。が、深沢七郎や大江健三郎の作品が右翼からの暴力をおそれて出版もできない日本では大口をたたけまい。
Posted by yam at 2006年02月08日 19:55
恐らく民主主義の限界の感じ方は同じなんでしょうけど、そのプロセスにおける理解が異なってるんでしょうね。

まず俺も現在、民主主義が通用しきっていないと言う認識は持っています。しかし、通用しなくなってきたとは思いません。被植民地出身者が民主主義に参加できるようになってまだ半世紀も経っていませんし。そして、じゃあ何故通用してないか?と言うレベルにおいて、俺は政治的な怨念の蓄積と、その引き金になり、新たな怨念の源泉となる過剰流動性(身内意識の消滅)に原因を見出しています。

欧米とくくった事は、旧宗主国群としてのカテゴライズなので乱暴な分け方とは思いません。確かにイラク戦争については独仏と英米が分かれましたが。しかし結局、南北問題の根本は帝国主義の時代にあるのですから、自らを食い物にした者達として欧米を見ていると思います。中韓に恨まれる日本と同じ構図でしょう。

欧州における移民政策は英式不干渉主義と、仏式融和主義の二つに分けられますが、テロと暴動で昨年までに両者とも破綻しました。

確かに、仏国に置ける暴動は、「公共の観点から、全ての仏国民は公平なはず(宗教行為を公的な場において行えない=イスラムが四六時中イスラムでいられない)なのにイスラムと言うだけで差別され、格差がある」と言う移民のストレスが原因でしょう。同時
に、英国におけるテロは「公共の観点から、イスラムがイスラムである事を許容されるが故に政治的怨念を背負ったテロリストを育ててしまった」事が原因と言えます。

両者ともイスラム教をレトリックとして使っていますし、幾分かその要素もあるんでしょう。では全世界でイスラム教を絶対化する事を彼らの多くが望んでいて、それを動機に今回までの事件を起こしたかと言うと、恐らく違うでしょう。しかし、もし宗教と民主主義を対立させる為にはそのような構図でないと不可能ではないでしょうか。

後、インドネシアですが、真っ先に暴動やテロの標的にされるのは、民主主義と宗教が併存している証拠じゃないでしょうか?イスラムと民主主義が併存出来て困るのは所謂「原理主義者」やテロリストでしょうし。
Posted by ガク at 2006年02月08日 20:23
>記したいと思います

結局、ペンが勝つ派ですね。
Posted by 建つ三介 at 2006年02月09日 01:11
>この双方を相対化した」地点からモノを見たいと
結局、相対ですね。
Posted by 建つ三介 at 2006年02月09日 01:15


こんばんは♪ コメントありがとうございます。

>yamさん
 1については、以下のように補足させて下さい。
 私も民主主義がこれまで完全に通用してきた、という認識は持っていません。しかし、うまくいかないのは民主主義が不完全にしか適用されてないからであって、今後民主主義をより広く、より徹底させれば、現状起きている差別などの不具合・問題箇所も少なくなってゆくはずだ、という基本的な「民主主義への信頼感」というものが、これまであったと思います。
 しかし私は、この「民主主義への信頼感」自体が、今こそ傷つき、揺らぎ始めていると思っているのです。したがって
 旧>ただ、最近になって民主主義が通用しない場面が出てきた、ということが、意味を持つのではないですか?
 新>ただ、最近になって「民主主義への信頼感」では問題解決に役立たない場面が出てきた、ということが、意味を持つのではないですか?
 このように訂正致します。

 2に関してですが、私は表現の自由というものを、人権より重く見てはいないです。もちろん表現の自由自体、人権の重要な要因ですけども。
 具体的にいえば、名誉毀損や誹謗中傷、を主な目的とする表現は、言論と絵画とを問わず、表現の自由の保護を完全に受けることはできない、という立場です。だから「物理的恐喝でないかぎり、表現の自由は認められるべき」と考えるyamさんとは、前提の認識が違っているということをご理解ください。
 日本での言論の自由の在り方が完全であるとは、私も思っていません。暴力によって言論を封殺しようと考える人がいる現状は、実に憂慮すべき事態ですね。


>ガクさん
 まず、「民主主義」、「通用」に関しては、↑のyamさん宛のコメントをご覧下さいますようお願いします。申し訳ありません(汗
 要するに私は民主主義への信頼性(その実現可能性をも含め)自体が、民主主義の価値の一部である、というふうに、思っているのです。そして欧米での現状は、その民主主義の信頼性を大きく減じただろう、と。

 欧米をひと括りにすることへ異を唱えたのは
 >「欧米に対するイスラムの歴史的怨念と、イスラム(欧米で頻発するテロ)に対するヨーロッパの政治的な怨念」
 最初に頂いたコメントでこのようにあったため、テロを持ち込むのであれば欧米をいっしょにはできないだろう、と感じたのです。ヨーロッパ側のイスラムへの視線の変化はテロが主要因ではなく、移民問題に根がある、というのが私の理解なので。
 南北間格差ということであれば、欧米とひとつにすることにも納得できます。

 >欧州における移民政策は英式不干渉主義と、仏式融和主義の二つに分けられますが、テロと暴動で昨年までに両者とも破綻しました。
 欧州における移民政策の破綻がテロと暴動に原因を持つとは私は考えていません。テロや暴動は原因でなく結果だと思います。
 ではその原因とはなにか、私は民主主義そのものの中に、その理念の中に、なにか問題の種があったのではないかと疑っています。

 >では全世界でイスラム教を絶対化する事を彼らの多くが望んでいて、それを動機に今回までの事件を起こしたかと言うと、恐らく違うでしょう。
 イスラム世界の多くの人々はテロとは無縁であり、民主主義の実現を相変わらず望んでいるだろうと私も思います。
 しかし問題は「(イスラム教の絶対化を)彼らの多く」が望んでいるかどうか、にあるのではない、と思っています。数を気にするのは民主主義的発想ですが、私はその民主主義(の理想の有効性)自体を疑っているのですからね。民主主義とほかの非・民主主義的イデオロギーの対立を論じる際に民主主義のロジックを持ち出しても意味がありません。したがって
 >もし宗教と民主主義を対立させる為にはそのような構図でないと不可能ではないでしょうか
 これには、不可能ではないと考えます、とお答えします。

 インドネシアについて。並存していることは認めます。ただ、成功しているとは思わない、ということですね。ガクさんの最初のコメントでは「民主主義国家が成立」とありました。なるほど、成立といえば成立なのかもしれません。しかし先のコメントで申し述べたように、「民主主義と宗教との葛藤を克服できた国家だとは、私には思えない」ということです。民主主義と宗教、特にイスラム教との並存の成功例として出てくるのがインドネシア・・・というのは、それ自体、民主主義とイスラム教との並存の難しさを物語っているようにしか、私には思えません。
Posted by 水無月 at 2006年02月09日 01:45
 
建つ三介さん、こんばんは♪

笑ってしまいました(笑
私はむろん、ペン派ですよ。ですが自分の陣営が勝つとは信じてません(笑

相対・・・ですね。すべてを相対化しないとモノは見えてこないと思ってますから(笑
Posted by 水無月 at 2006年02月09日 02:12
多量のレス、感謝と同時にお疲れ様です。

民主主義に関してですが、水無月さんの挙げておられる問題点は民主主義そのものの問題点と言うよりも、過剰流動性の問題ではないでしょうか?
旧植民地の民が経済的理由などから旧宗主国に大量に流れ込み、既存の国民との間で軋轢が生まれる事に問題の根本があるのであれば、流動化が下がれば問題は解決すると思うのですが。

>ヨーロッパ側のイスラムへの視線の変化はテロが主要因ではなく、移民問題に根がある

しかし、他の旧植民地の移民ではなく、イスラム系移民がこれだけ差別の標的にされる理由はテロにあると考えられるでしょう。
まず歴史的に南北問題があり、それを恨んだイスラムのテロがあり、それを恨んだ欧州人(北側の人間)によるイスラム差別があると考えています。

>「(イスラム教の絶対化を)彼らの多く」が望んでいるかどうか
と言うのを持ち出したのは、そもそもキリスト教徒である欧州の人間がムハンマドを描いたところで、イスラムには関係が無い、放っておけば良いとも言えるからです。つまり数ではなく、範囲の問題としてどこまでイスラムの教義を適用すべきかと。
それとも全ての文化的宗教的禁忌は地球上どこでも不可侵とすべきなのかどうか?そう言うニュアンスです。

ある国においてムハンマドを描いてはいけないと言う規範があれば、民主主義的手続きにおいてそれを決定すれば良い。自らの表現の自由を自由に規定する事も民主主義では可能なのですから。
まぁそれを実際成功させる為には国家間の経済格差の問題、それに付随する流動性の問題等ありますが。しかしそれは民主主義そのものの問題ではないでしょう。

インドネシアに関しては、世界最大のイスラム教国であるのに民主主義国家は成立していると。
イスラム系テロリストがインドネシア人を狙うのは、欧米擦り寄り政策をとる政権に対して、反対の方へ国民を動機付ける為になされていると認識しています。であるなら、逆説的に非常に強く民主主義とイスラム教が併存していると現れだと言えるのではないでしょうか。

しかし、些細な事なんですが、書けば書くほど「民主主義」と言うより「国民主権主義」のように、国という枠組みをおした方がいいような気がしてきましたw
Posted by ガク at 2006年02月09日 02:59
 
ガクさん、こんばんは♪

>民主主義そのものの問題点と言うよりも、過剰流動性の問題ではないでしょうか?

民主主義体制自体に、過剰流動性を招く要素があるのではないでしょうか? つまり、民主主義を取っている国は、実際問題として移民を拒否しにくいですよね? 一律に拒否して鎖国するなら別ですけど、そうでないなら、どのように入ってくる人間を拒みうるか・・・。
そこに人種や民族や所得での差をつけては民主主義とは言えない。しかし内心は差をつけたい・・・のでは?
トルコがEUに加盟できるかどうか、という問題と同じだと以前に書いたのは、そういう文脈です。

>それとも全ての文化的宗教的禁忌は地球上どこでも不可侵とすべきなのかどうか?そう言うニュアンスです。
その通りだと思いますよ。そして、多数決で(例えば国単位で)それは規定すべき問題であり、多数決で解決可能と考える人と、そうでない人(いかなる国でもムハンマドの肖像は許されないと考え、抗議する人)がいる、ということです。

インドネシアに関しては、前回述べた通りの意見で、変更はありません。

最後に
>まず歴史的に南北問題があり、それを恨んだイスラムのテロがあり、それを恨んだ欧州人(北側の人間)によるイスラム差別があると考えています。
この件に関しては、大筋では同意します。
しかし、イスラムの(特にキリスト教から見た場合の)特殊性を、重視しすぎてもいけないですけど、軽視してもいけないと思います。すでにご存知かもしれませんが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、ともに旧約聖書を共通の聖典においています。ユダヤ教は旧約のみ、キリスト教は旧約と新約のみ、イスラム教は旧・新約に加え、コーランを信仰しています。つまり、ユダヤ教の発生の後にキリスト教が発生し、最後にイスラム教が発生しているのです。
これはどういうことかというと、キリスト教はユダヤ教を越えるものとして要請され、イスラム教はキリスト教を超える存在として要請された、ということです。つまり、キリスト教では救われない人々の受け皿として、イスラム教は存在し、今も勢力を伸ばしているのです。
イスラム教の本質には、キリスト教(民族・文明も含め)への抵抗、という意味合いが、少なからず存在しています。アジアやアフリカなどでイスラム教徒が続々と増えている背景・・・そのものに、実はキリスト教文明(帝国主義なども含めた広義の)が救い損ねた人々が(民主主義の理念にもかかわらず)放置されている、という南北問題そのものが横たわっていることを、指摘しておきたいと思います。
なお、民主主義の理念の破綻ということでいえば、国連もそうですよね? 大国は拒否権を持っており、手放さない(笑) 国連においても民主主義を徹底させれば、問題は解決するかもしれません。しかしそれの実現可能性は薄く、望みを託すに値しない、と考えた時に、貧しい人は民主主義への希望を捨てるのだと思います。
Posted by 水無月 at 2006年02月09日 04:34
追加コメント:
新>ただ、最近になって「民主主義への信頼感」では問題解決に役立たない場面が出てきた、ということが、意味を持つのではないですか?
 このように訂正致します。

。。というより、民主主義を奉ずるだけでは、問題解決にならない、とズバリ言ったらいかがですか。いまどき オレッチは非民主主義国、なんていうパアプウ国は北朝鮮くらいでしょう?+中国やソ連の共産主義国(元)。たとえば、手続きとして国民全員の投票を経ている代議制民主主義をとっている米国議会で、決定される税制度などはたとえ差別的なものであって、「民主的」な立法になります。ブッシュ対クリントンで露わになった支持者数が少なくても勝者になれるとか、日本のように一票の重みが地域により異なるとか、小選挙区制問題(投票者数と当選者数が食い違う)など様々な手続き上の問題、それに、代議士が選挙民の意志を正確に反映しない、ということは国民がしっかり認識した、という意味では「制度としての民主主義」の完全性というのはあり得ないのだ、と誰もがほぼ認識している。これでよろしいでしょうか。手続きの民主的(選挙制度)と出力が民主的(議会の諸決定)は別物、である、と。

> 2に関してですが、私は表現の自由というものを、人権より重く見てはいないです。もちろん表現の自由自体、人権の重要な要因ですけども。
 具体的にいえば、名誉毀損や誹謗中傷、を主な目的とする表現は、言論と絵画とを問わず、表現の自由の保護を完全に受けることはできない、という立場です。

これは日本でも現在ホットイッシューになっているところです。なにをもって名誉毀損、誹謗中傷、というのか?は確定していません。最大限これを拡張すれば、現在市中にあふれる雑誌記事などほとんどアウト、でしょう。今回の事件では、特例措置、であって、病人には病人への「特別の配慮」をすべき、ということで一歩譲るのであり原則を譲るわけではありません。赤子と一緒に湯水を流しちゃなんにもならない。表現の自由ランク、というものを設定し、世界地図を塗り分ける必要がありそうですね。
Posted by yam at 2006年02月09日 08:25
ここだけはコメント欄に書いて、今後別のネタでお邪魔する時はTB飛ばす事にします。やっぱり長文コメントは良くない気がするので。

>民主主義体制自体に、過剰流動性を招く要素があるのではないでしょうか?

確かに、民主主義は流動性を重視するものですが、しかしそのベースには非流動性があってこそのものだと思います。
つまり民主主義国家は全ての国民を制度上差別することは許されません。しかし、自国民と他国民を差別する事は寧ろその前提となっていると。

移民に関しても、現在のヨーロッパにあれだけの移民がいるのは、日本より一足先に少子化を迎え、労働力確保の為に基準を甘くしてとにかく旧植民地からの移民を大量に受け入れたと言う特殊な事情も一因となっています。

移民として出て行く国民を咎める事は民主主義では不可能でしょうが、入ってくるのを国益の観点から制限する事は民主主義に反しないのではないでしょうか。

イスラムの特殊性に関しては了解しました。付け加えるならば、それゆえに歴史的、政治的怨念が蓄積していて今日の問題に結びついていると考えている、と言う事です。

国連に関しては、拒否権を認められた国が存在していますが、国連抜きの外交では得がたいある種の公共性が存在しています。どんな弱小国家でも(北朝鮮にすら!)発言権が与えられる公共性と言うのはある程度評価できると思います。
まぁ、民主主義を国際政治において設定するのは少々乱暴な気もしますが……w
Posted by ガク at 2006年02月09日 16:57
 
コメントありがとうございます。

>yamさん
 >民主主義を奉ずるだけでは、問題解決にならない
 >「制度としての民主主義」の完全性というのはあり得ない
 >手続きの民主的(選挙制度)と出力が民主的(議会の諸決定)は別物
 これら引用部分はまったくその通りと思いますが、私が「『民主主義への信頼感』では問題解決に役立たない場面が出てきた」という文脈で表現したかったこととは微妙にずれています。
 制度としての民主主義の完全性が保証されれば、テロや暴動は治まるか、と考えると、私はそうは思わないのですね。ガクさんとの議論でも述べましたが、根本的には南北格差(国家間の貧富の差)の問題が横たわっていると考えます。民主主義の理念ではこれらは解決できないし、遠い将来解決できる、という理想さえもはや与えることはできない、そういうことを表現したかったのです。

 2に関してですが、まさにホットイシューですね(笑
 >なにをもって名誉毀損、誹謗中傷、というのか?
 これを規定することが難しい(そして詳細に規定すればするほど本筋から外れていく傾向がある、たとえば猥褻の定義のように)からこそ、私は、表現者(書き手)の判断を重視する立場です。
 表現者が「名誉毀損や誹謗中傷、を主な目的と」したかどうかは表現者にしかわかりません。本来は。けれども表現者にはわかっているはずです。私は、表現の自由はまず表現者(書き手)内部の良心の問題であって、法的など外部の規定は最後に位置するものだと思うのです。
 外部の規定としては、
 >病人には病人への「特別の配慮」をすべき、ということで一歩譲るのであり原則を譲るわけではありません。
 これがあるべき姿であると私も思います。しかし自らが書き手であると思う者は、その良心の求めるところに従って最大限の配慮をしてもよいと思います。

>ガクさん
 え〜と、つまり、移民を制限する際にどのようにそれができるか、ということですね、私の疑問は。その制限の仕方によって、実は内政の民主化度が暴露されてしまう・・・という。だって、たとえばイスラム系の人は今後制限します、と言ってしまったら、今現在その国でイスラム系の人々がどのような立場に措かれているか、わかってしまいますから。
 イスラムの特殊性について「歴史的、政治的怨念が蓄積していて今日の問題に結びついている」は、仰る通りです。私もそれを念頭においていました。
 国連の公共性は私も認めています。認めたうえで、そこに限界がある事実が重いね・・・と言いたかったのです。
 コメントに関してのご配慮ありがとうございます。私はどんなコメントでも歓迎しますが、状況によっては返事が遅れるかもしれない、ということと、せっかくのガクさんの意見ですから、拙コメント欄のような場所に書き記すより、ガクさんの場所で発表なさった方がガクさんにとっても益があるでしょう、というふたつの理由で、ガクさんのご判断に賛成します(笑
Posted by 水無月 at 2006年02月10日 02:59
コメントについては了解しました。このスレッドの他の際はTB多用します。

>移民の制限
イスラムの移民と限らず、移民一般に対する制限と言うのは日本でも入国管理法などありますが。どのように、となると「労働力はもう足りているから」と言った名目になりましょうか。

すでに入国を済ませた移民について排斥する事に民主主義的な正当性は無いでしょうけど、国民国家である限り、これから来る移民(外国人)を制限するのは何ら問題ないかと思います。また前者の問題であっても、それはその国民の民主主義の不理解が原因であって、民主主義の理念自体への否定にはやはり結びつかないのではないでしょうか。

>イスラムの特殊性について「歴史的、政治的怨念が蓄積していて今日の問題に結びついている」
がゆえに、その怨念と教義とを分けて考えたならば民主主義との併存は可能ではないでしょうか。今回の騒動の元になった教義も、人類の平等性を確保する為の物のようですしw

民主主義対宗教と言う構図よりも、やはり北対南の積もり積もった怨念の構図が根本にあるんでしょう。そして南(のイスラム)が北(の欧米)を攻める正当性を得るために宗教的ロジックを使って連帯を強め、北が南を攻める正当性を得るために民主ロジックを使ったのだと思います。
直接の動機が宗教と言う訳ではなく、反欧州主義者が良いように宗教を使っているだけに見えるんですよね。

>国連
国連はじめ国際政治においてはどうしてもパワーポリティクスが目立ちますが。しかしある地域がある国から独立する可能性をもつのも民主主義の理念が正当性を与える―どうしても国内多数に妥協できなければそこから離脱できる権利がある―からですし。やはりこれも未だ過渡期と言う感じがします。
Posted by ガク at 2006年02月10日 04:53
 
ガクさん、こんばんは♪

移民についてですが、つまり、イスラム系の人は新規流入を拒否したいけれど、他民族(アングロサクソンだったりラテンだったりゲルマンだったり)は別に拒むものではない、というような本音があるのではないか、ということです。

民主主義の理念・・・。という言葉を、たぶん私も上記で使用していると思いますが、民主主義自体は結局システムなんですよね。多数決で決めますよ、という。その多数決で決める、ということが最大多数の幸福に結びつくはずだ、という一種の信仰、そしてそれゆえにこそ民主主義は世界に広めるべきである、という思想を、民主主義の理念と呼ぶとすると、私はその理念が揺らいでいると思います。
つまり、民主主義を徹底させ、世界に広めても、人々は幸福になれないかもしれない、という感覚が現実味を帯びてきている、という感じがします。
ガクさんはそれを、「民主主義の不理解が原因」と解釈する。私はそうは思わない、ということですね。

>北対南の積もり積もった怨念の構図が根本にあるんでしょう。そして南(のイスラム)が北(の欧米)を攻める正当性を得るために宗教的ロジックを使って連帯を強め、北が南を攻める正当性を得るために民主ロジックを使ったのだと思います。
この見方は有効だと思います。
とすると、民主主義も宗教も道具(口実)の位置に落ちている、ということになりますね。不幸なことだと思います。
それはともかく、民主主義と宗教とが道具に過ぎないとすると、真の主役は経済(物質的豊かさ=マネーや食料や石油資源など)ということになる。
はい、それでもいいと思います。衣食足りて礼節を知る。片や食えない人間がいる以上、人類にとって民主主義(思想)も宗教も過ぎた道具でしかないのでしょう。

ちなみに、私はもともと、大きくは南北間格差、小さなところでは差別問題など、を、解決するためにこそ、人類は民主主義をそれこそ道具(システム)として「開発」したのだという理解でした。
Posted by 水無月 at 2006年02月10日 06:05
ひとまずこれで区切りがつくのではないでしょうか?ついてなかったら申し訳ないですがw
移民については、そのためのEUなんでしょうね。

ある程度の流動性は必要だけど過剰な流動性は困る。だから範囲をヨーロッパ内で保ち、ヨーロッパ的文化を保持しつつ、その中で流動性を維持する事で活発さを産んで、アメリカなんかに対抗していこうと言う考えなんじゃないでしょうか。

国民が国家に適応できなくなっても、EU内で次の受入先を探す事も出来ますし。

>民主主義の理念
やはり此処ですね。mixi日記にも書いたようについ最近ハーバーマスを読んで影響受けまくってる俺は、民主主義の理念の根本を多数決に見ていないのです。では何に見るかと言うと、「公共性」に見るんですね。で、その「公共性」を政治の圏に影響を与えられる様にする一つの方法が多数決であると。公共性から出る公論は権威ではなく合理性によって保障されますので。差別やその他の解決のために開発されたのではなく、民主主義が前提とする合理性の観点から、差別その他が良くないとなったのではないかと思います。

とりあえず「民主主義の不理解」と俺が言うのは「公共性の不理解」と読み替えてもらった方が良いかも知れません。

>民主主義も宗教も道具(口実)の位置に落ちている
そうですね。冷戦時代の共産主義を見ても同じ事が言えます。あのイデオロギーはマルクスが語った共産主義とは別の意図によって人を動員しましたから。

>真の主役は経済
だけではなく、国際的な公共性でしょう。貧しく、発言力も乏しい国は永久に貧しくなくてはならない現状のシステムが問題です。イスラムの国であっても、貧しい国であっても独立国家として発言力と復活のチャンスが認められれば怨念の解消にもなりうるんじゃないでしょうか。
そのためには自らも公共性の価値観を受け入れる必要があります。明治期の日本が天皇を機軸に据えて近代国家をつくったように、イスラムに置いてもそれ―イスラム流の公共性を作る事―は不可能ではないと思うのですね。(むしろキリスト教と底流が同じ一神教なだけに、日本よりも馴染みやすいかもしれないとすら思います。この辺は妄想ですがw)
Posted by ガク at 2006年02月10日 20:55
 
ガクさん、こんばんは♪
コメントありがとうございます。

そして公共性・・・。これの理解を私がしていないので、うまく議論がかみ合うかどうか心もとないのですが・・・(汗

まず、EUに関しては、ガクさんのお考えだと、ヨーロッパ的文化にかなりのウェートがある以上、イスラム教国であるトルコは加盟できなくても仕方ない(=ガクさんの考える範囲では十分に民主的な決定である)ということになるわけですよね?
それがEUの利益でありEU内の公共性に寄与していることはわかりますが、国際政治レベルではどうなのでしょう? というのが私の疑問です。

ガクさんのコメントの文脈では
>イスラムの国であっても、貧しい国であっても独立国家として発言力と復活のチャンスが認められれば怨念の解消にもなりうるんじゃないでしょうか。
これには同意しますが
>そのためには自らも公共性の価値観を受け入れる必要があります
ここが私にはまだ理解できていません。「公共性の価値観を受け入れ」れば、「イスラムの国であっても、貧しい国であっても独立国家として発言力と復活のチャンスが認められ」る、とは必ずしも言えないのでは? なぜ、そのように両者が繋がるのかが、私にはわからないのです・・・(汗
世界レベルで考えると、むしろ、公共性の価値観を受け入れるべきは、欧米など先進国側ではないのでしょうか? 公共性ということであれば、イスラムの歴史的怨念など持ち出す必要もなく、世界レベルでの公共性を受け入れていない国家が民主主義国家を名乗っている、そこに矛盾がある、と言ってしまっていいのではないですか?

ちなみに私が、記事本文とこれまでの議論の中で「通用しなくなっている」と批判しているのは公共性の概念でなく、欧米など先進国がイスラム教国を非難する際に口にする「民主主義」の方です(笑
したがって、公共性の理解が徹底していない、というご意見には賛成します。「民主主義」(括弧つきの)が公共性を広め、深めることに役立たなくなってきた、ということを、私は主張しているわけです。

そしてもうひとつ思ったのは、公共性を実現するための最も合理的な方法が多数決とは限らない、かもしれないということです。特定の宗教を信じる集団においては、多数決での決定よりも宗教的権威者の判断に従う方が合理的と感じられるのかもしれません。そういう集団が存在してもおかしくはない、と私は思っていますし、彼らが民主的でない(多数決で決めていない)がゆえに合理的でない、と批判することは誰に可能なのか、そういう疑問を感じています。


なんだか少しも終わりそうになくて申し訳ないのですが、あまり引き伸ばしてしまっても恐縮なので、私のコメントへの異論や返信などは、あってもなくても結構ですよ。また返事があるとしても、場所も期日などはどうぞガクさんの都合の良いようにしてください。
私は一年後にもたぶん同じ場所にいて、議論をお聞きできると思います(あくまで、たぶん、ですけど 笑)。一年後には世界情勢も変化していて、この議論の価値が無になっているかもしれませんし、逆にますます重要性を帯びているかもしれません・・・ね。

Posted by 水無月 at 2006年02月10日 23:21
水無月さんに迷惑がかからないようであれば俺は幾らでも来ますよ〜。

まず、簡単に言うと公共性とは誰もが自由に討論出来る事で、民主主義とは国民の自由な討論を政策決定に反映する政治形態です。

>EU
そうですね。決定のプロセスとしては、充分に民主主義的でしょう。後は外交的、経済的なメリットデメリット的にどうか?と言う話だと思います。

>「公共性の価値観を受け入れ」れば、「イスラムの国であっても、貧しい国であっても独立国家として発言力と復活のチャンスが認められ」る

と言う訳ではなく、「公共性の価値観」を受け入れなければ、発言力と復活のチャンスを既存の民主主義国家に認めさせる事は不可能だと言う事です。
つまり、「どんな国にも平等に発言権が与えられなければならない」と言う考え方がそもそも「公共性」や「民主主義」的発想なので、自国内でそれを拒む国にそんな資格は無いと言われてもしょうがないって事ですね。
ですので欧米がイスラムなどを批判する時の「民主的でない」と言うのは「国民に公共性(自由に討論する権利)が保障されていない」と言う意味で、政策が多数決で決められているかどうかと言う問題ではないのでないでしょうか。

>特定の宗教を信じる集団においては、多数決での決定よりも宗教的権威者の判断に従う方が合理的と感じられるのかもしれません。

何故公共性に置いて合理性が求められるかと言えば、討論に置いて説得するには合理的である方が有利だったからです。ですので、その様な決定で説得が可能な集団に置いてそれを否定する事は逆に民主主義に反します。つまり、民主的プロセスに置いて宗教指導者に依存することを決定するのはアリなのです。ただ、その後国民の公共性(自由に討論する権利)が奪われると民主主義的正当性は失われますが。

>むしろ、公共性の価値観を受け入れるべきは、欧米など先進国側ではないのでしょうか?

その通りだと思います。ですので「公共性の不理解」と言う言葉を使ったんですね。

イスラムへの怨念、そして経済的な有利さを手放したくないあまり世界単位の公共性に目を瞑る。そのせいで南側の政治的怨念を積もらせ、イスラムの歴史的怨念を呼び覚まし、欧米自身の公共性を破壊されそうになっていると言う構図でしょう。
同時にイスラムの側も、怨念から民主主義や公共性を否定すればするほど、それによって得られる可能性のある平等な発言権等を逃すと言う構図があるト思います。

今回の件は、このような悪循環にイスラム教と表現の自由が使われたと言う事だと思います。
Posted by ガク at 2006年02月11日 02:03
ちょっと飛び入り。

>ガク さん、うちのサイトにも、お立ち寄りくださーい。
僕も行きますから。
Posted by 建つ三介 at 2006年02月11日 15:52
 
ガクさん、こんにちは〜♪

私の感じでは、話も大詰めに入ってきた感があります。
ガクさんの考え方は(もちろん完全ではないでしょうけど)私にも理解できてきたと思いますよ。

>簡単に言うと公共性とは誰もが自由に討論出来る事で、民主主義とは国民の自由な討論を政策決定に反映する政治形態です。

>>むしろ、公共性の価値観を受け入れるべきは、欧米など先進国側ではないのでしょうか?
>その通りだと思います。ですので「公共性の不理解」と言う言葉を使ったんですね。

ここが大事だと思います。というか、ここで同意していただければ、私はもう満足です(マテ(笑

公共性、という言葉を軸にすると、今までとは違った観点から物事を整理できますね。ガクさんには感謝しています。公共性を軸にすると、私の見方はこうです。

◇民主主義も宗教も、公共性とは対立しない。
◇狭義(内政レベル)の民主主義が、広義(世界レベル)の公共性に反する場面では、国教のない宗教的権威が力を得、民主主義が公共性に反したことを宣伝する。

たとえば「民主的」な手続きによってトルコがEUに加盟できなかった場合、そのEU内の民主主義が世界レベルでの公共性に違反していたならば、イスラム教的情熱に火がつき、再びテロや暴動などが起こるかもしれません。
また、先のイラク攻撃の際には、米国が国連決議を待たず欧米やイスラム教国の慎重論などを押し切って(=公共性の無視)、強行したために、その結果としてイスラム教的情熱に火がつき、現在ではテロや暴動が世界規模で起きやすくなっている、と解釈できます。

そういう流れの中では、公共性の重要さはますます重みを増し(というか待ったなしで先鋭化し)、民主主義的手続き(自由な討論を政策=国の行動に反映させる)の重要度も増している、と言えるでしょう。

そして民主主義の限界、とは、民主主義でない方が有利な強者をいかに民主化できるか、ということでしょうね。この場合の強者とはむろん、国際政治における米国です。誰か米国に民主主義を教えてやってください(笑
Posted by 水無月 at 2006年02月11日 17:25
 
建つ三介さん、こんにちは〜♪

うちのお客を盗ってかないでください!! なんて冗談です、もちろん(笑
ガクさん(yamさんもですが)は、建つさん好みだろうと思っておりました。うまく討論が盛り上がると良いですね♪

今回、ひとつご忠告しますが、建つさんの上記コメントの名前の部分を押しても、うまく建つさんのページに行けませんでした。調べたら、どうやら建つさんは「http://dion.ne.jp/ivanat」と、ホームページアドレス欄に書かれていたようです。建つさんのBLOGのアドレスは「http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/」ですよ。「blogs.」と最後の「/」が抜けています。今回は私が気づいたので、管理者権限で直してしまいましたが、次回からは気をつけた方が良いと思います。私も、頂いたコメントに手を加えることは本来はしない主義ですので。お節介かも知れませんが、一応・・・。
なお、今回四つコメントを頂いてますが、ここを含めお誘いモードの三箇所は直し、一箇所はそのままです。
Posted by 水無月 at 2006年02月11日 17:44
いやはや、お恥ずかしい限りです。
ところどころ、治していたのですが、
ここの投稿分はそのままだったんですね。
そういった権限なら、どんどん行使してください。助かります。

ついでにお知恵を貸してください。
実は引用文(特に長い文の場合)を水無月さんみたいに背景色つけて、囲いたいのですが、
やり方がわかりません。一体あの技は如何?

>うまく討論が盛り上がると良いですね

任して下さい、「凹」ませますよ。わけの分からない、こと言って。エヘへ、これは冗談。
もう言いたいことが、皆さんいっぱい、僕も。
でも、勉強になりますね。すれ違いもあるけど・・。
Posted by 建つ三介 at 2006年02月11日 18:03
 
こんばんは♪
はい、まったく予想もしなかった方向からの反論があったりして、これがネットで意見公開することの面白さだと思います。

囲み記事に関して。すみません、ここで表示しようとしてもうまく書けません。文字化けが起きてしまうのです。あとでメールを送るか、可能ならBLOG上で記事に起こしてみます。
Posted by 水無月 at 2006年02月11日 19:07
>建つ三介さん
あ、今度から寄せていただきます。よろしくお願いします。
今のところまだ俺のサイトにはたいした記事が無いですが、良かったらいらして下さいw

>水無月さん
議論に収集がついて良かったですw

まぁ、今回の場合、両者共に「公共性」への不理解が目立ってますので難しいのですが。
ただ、アメリカの場合は分かってやってる節もあります。マイケル・ムーアじゃないですが、危機を煽り、敵を作る事によって軍事含むセキュリティの方面からアメリカ一国集中のイニシアチブを握れますからね。
それ故に手強いですが、しかしその土俵に上らないと勝負する前に潰されますので、厳しいとこですねw
Posted by ガク at 2006年02月11日 22:19
>あとでメールを送るか、可能ならBLOG上で記事に起こしてみます

有難うございます、お手数を取らせます。でも、かなり難しそうですね。

前に教えてもらった、サイトのアドレス番号の話も理解できなかったままで・・。情けない。

>ガクさん、お待ちしてます。
Posted by 建つ三介 at 2006年02月11日 23:13
 
こんばんは♪ コメントありがとうございます。

>ガクさん
 長らくお付き合いいただきありがとうございました(笑
 アメリカ・・・。確かに、実に難しいですね。


>建つ三介さん
 難しいかどうかはともかく、記事にしてみました(笑
 あとはご健闘を祈るばかりです。なお、文字表示の関係でわかりにくいですが、< や > は、< と > の半角文字ですから、ご注意くださいね。
 まずはコピー&ペーストで、実験してみてください。コピー&ペーストを知らない、と言われると、ちょっと困っちゃうのですが・・・。
Posted by 水無月 at 2006年02月11日 23:48
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