2006年03月16日

受け入れる側の論理

個人的には、以前(3/6)にUPした【松本被告次男入学拒否のニュースで思うこと】(http://yohaku.seesaa.net/article/14272155.html)で「この問題に、私はまだ決着をつけられていません」などと保留にしておいたツケが回ってきたような気がしました。


【 経 緯 】

「アルファブロガー」松永英明氏が元オウム真理教信徒であった過去を自ら認めました。


・過去の経歴の部分については、野田さんの公表されたとおりです。

・現在、私は団体に所属していません。そこから飛び出したという表現がしっくりくるかと思います。

【備忘録ことのはインフォーマル】
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060313#1142201603


(管理人注・・・「野田さん」は【ESPIO】の野田敬生氏のこと。
 以下【ESPIO】より引用)

4.「河上イチロー」
 河上イチロー・・・90年代後半に活躍した伝説的なネットワ
ーカーである。筆者と同年代のネット利用者ならその名を知らぬ
者はいないだろう。「河上イチロー」は勿論ペンネームだ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4947737026/

 河上氏はかつて "Der Angriff"(ドイツ語で「攻撃」の意)と
いうHP(掲示板群)を主宰していた。長らく何者であるかは誰
にも分からなかった。しかし、後にオウム信徒である(あった)
ことを暴露され、2000年10月、「河上イチロー」という架
空人格はネット上から姿を消した。

・・・(中略)・・・

筆者はある調査を通じて、「松永英明氏=河上イチロー氏」で
あることの客観的で、かつ動かぬ裏付けを取ることに成功した。
 今回の記事で上記4のとおり指摘するのは、決定的な根拠が存
するからに他ならない

【ESPIO ■M.V.Project HONDA Sigekuni Vol.405 02/27/06】
http://espio.air-nifty.com/espio/2006/02/mvproject_honda.html



こうした経緯は、私個人にも少なからぬ衝撃を与えました。とはいえ、私は松永氏も、その主たる活躍の場であり結果であった【絵文禄ことのは】も、「アルファブロガー」という言葉ともども、つい最近まで全く知らなかったのですから、衝撃を受けたといっても、それは
「自分も利用していた『BLOG』あるいは『インターネット』という世界でのすぐ隣人に元オウム信徒がいた」
という事実からもたらされるものです。

私自身がこのニュースに触れた経緯は以下の通りです。
まず耐震強度偽装問題に関心を持つ
→この事件で一種のスクープを飛ばし続けていたらしい【きっこのブログ】の存在を知り、その管理人が誰かという話題がネット上で盛り上がっていることを知る
→【絵文禄ことのは】の松永氏が【「きっこの日記」五年分すべてを通読してわかった。きっこの正体(きっこの日記検証1)】で始まる一連の記事をUPしていたことを知る
→民主党メール問題が起こる
→政治とインターネットとの関わりについて、深浅広狭は様々なれど興味関心あるいは問題意識を抱く
→上記問題意識から巡らせていたアンテナに当ニュースが引っかかった

つまり、私が【きっこのブログ】や【絵文禄ことのは】を知ったきっかけは現実の政治であった、ということです。逆に言えば、それらのサイトが現実の政治に関わらない限り、少なくとも私に関しては、【きっこのブログ】や【絵文禄ことのは】を知ることはなかった、ということ。
私にとってこれは意味を持つ事実です。


【 元オウム信徒を受け入れるには 】

松永氏のニュースに触れた時、私が一番に考えたのは、私が元オウム信徒であったらどうするか・・・ということでした。
それは結局、サリン事件等を団体で起こしたオウム真理教という組織に人生の一時期所属していた人間は、その後どのように社会へ戻ってゆくことが可能か、という問題と同じです。
けれどもその問題を考える前に、私は幾つもの根本的な前提となる問題があることに気づきました。それは例えば以下のようなことです。

・オウムとアーレフを同じものと看做すのか、それとも別物と考えるのか。
・オウムは宗教団体か、それともテロ組織か。

私の理解では、「オウムは宗教団体でありかつテロ組織であった」が、「そこから人的資源や教義等その他諸々を引き継いで存在しているアーレフは、宗教団体としてのみ存在を許されている」、というものです。だからアーレフは現在も(テロ組織化しないよう)公安組織から監視されているのでしょう。

さて、そういう前提で考えてみます。
かつてオウムに在籍したことのある人間はどのように社会へ戻ることができるのか。
私にはふたつの道しか考えられません。

 @ オウム的価値観から完全に離れ(したがってオウムの教義を引き継ぐアーレフからも当然に脱退し)、日本社会の価値観を受け入れこれに従って生きる。
 A 宗教的教義を含めたオウム的価値観から完全に自由になることができないならば、(アーレフに在籍するにせよ脱退するにせよ)オウムへの批判を自己への批判として甘受しつつ生きる。

失われた命が決して元には戻らないように、オウムの罪は事実(歴史)として残り、永久に消えることはありません。
そうした団体にかつて一度でも共鳴してしまった過去を持つ個人としては、罪の象徴=オウムと自己との距離感をどのように取るか、というくらいことくらいしか、もはや取るべき道はないように思うのです。
そしてもちろん、@であるにせよ、Aであるにせよ、オウムの罪と自己との関わりを最大限真摯に、極限まで、突き詰めたあとでなければ、社会への復帰など不可能でしょう。
たとえば、オウム組織のごくごく末端に所属し、教団が反社会的行為等に関わっていたことを全く知らなかった場合であってさえも、そうした組織であると自分が見抜けなかったこと、密かに殺人を計画し指示していた「教祖」の教えに自分が共感を覚えたこと、などを突き詰めなければならないはずです。
そしてそこを突き詰めてゆけば、自身の判断力や思考力への疑義が当然に生じるはずです。
それはつらいことに違いないだろうと思います。かつての自分を否定することにも通じるでしょう。けれどもまた、そうしたつらい、魂から血の吹き出すような反省や自己否定を経たあとでなければ、日本社会は彼らを受け入れることはできないだろうとも、思うのです。オウムはそれほどのことをしでかしてしまった・・・わけですから。


【 松永氏の場合 】

回りくどいですが、私は以上のようなことを考えてからでなければ、松永氏をどのように私自身が判断すればよいのか、考えることができませんでした。
松永氏はかつてオウムに所属し、今は離れたと述べています。松永氏を私が知ったのはつい最近であり、彼の著書やウェブ上での発言を私は大部分知りませんでした。また、私が彼を知ったのは私自身の現実の政治への関心からです。
以上のようなことを考え合わせると、残念ながら、私はまだ松永氏の発言を完全には受け入れることができない、と判断せざるを得ません。つまり、松永氏の現在、そして過去の発言を額面通りに受け取る(信じる)ことは留保したい、という意見です。


私の疑問は、なぜ彼がオウムやアーレフを脱退したにもかかわらず、あえて政治に近づくような発言をした(【きっこの日記】に関する記事をUPした)のか、ということです。
松永氏はオウムやアーレフとの現時点での関わりを否定しています。そうであれば、過去を暴かれることは氏の望むところではなかった・・・はず。世間で話題になっている事柄に関して発言すれば、当然、自身も注目を集め、結果として過去を暴かれる危険も予想できるでしょう。また、本当にオウムやアーレフとの関係を絶ち過去を清算していたのであれば、自身の判断力や思考法には強い疑念を抱いて当然なのですから、政治的な意味を持つ問題に関しては尚更、発言を控えておこうと思うものではないのでしょうか。
松永氏はそのほかにも、民主党や自民党の主催する著名ブロガー懇談会へ出席しています。これもまた、明らかに政治へ近づく行為です。

松永氏自身は以下のように述べています。


・民主党・自民党の懇談会については、完全にブロガーとしての立場ならびに思考で参加させていただきました。私自身、ここまで問題視されることであるという認識はなく、その認識の甘さについては、ご迷惑をおかけした各方面にお詫びせねばなりません。しかし、私は単に「ちょっと違ったところでおもしろい話が聞けて、それを皆さんにお伝えする」というだけの気持ちで参加したものであり、それ以上でもそれ以下でもなかったという事実については申し添えねばなりません。もちろん、そのように認識が甘かったということについては、批判を受けねばならないと考えています。
【備忘録ことのはインフォーマル】「一連の疑惑について」
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060313#1142201603


とりあえず、元オウム信者は今の日本社会において「終身執行猶予つき終身刑」みたいな状況に置かれているわけです。つまり、何か悪いことをするんじゃないかという目で見られ続け、しかもそれは死の瞬間になって「ああ、この人は何もしなかったね」ということでしか証明できない。言い換えれば、今、私がすべてを証明することなどできやしないので、今までどおり、読者の役に立つ(あるいは知識としておもしろい)話題をブログで提供し、役に立つ本を書き続ける、あるいはその他何か社会の役に立つ事業を行うという方向性を保ち続けて寿命を迎える以外に道はないと思う。この人はもしかしたら何かたくらんでるんじゃないだろうか、と疑われ続けるという状況からは、死ぬまで逃れられないだろう(もちろん、相手によるが、社会一般として)。

【備忘録ことのはインフォーマル】「今の気持ち」
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060315#1142387396


以上からは、元オウム信徒として社会から特別視されることの被害者意識は読み取れますが、かつてオウムに所属していた自身の判断力や思考法を疑い、そこから苦しみながら立ち上がった、という精神的苦闘の痕跡は一切窺えません。

精神的苦闘の痕跡が窺えないから、彼が苦闘しなかった・・・とも、言い切れないものと思います。私は松永氏に関してほとんどなにも知りません。彼はもしかしたら、真摯に反省したことを公にする行為へ一種の「恥ずかしさ」を感じるような性格の人かもしれない、からです。

けれどもそのように好意的に考えてもやはり、なぜあえて政治的な意味を持つと受け取れる行為をしたか、という疑問は残ります。
(この疑問は、松永氏がアーレフにとって利益になるようななんらかの目的意識の下に、これまで計画的に発言してきたのではないか、という疑いへと道を開くものでもあります)


【 受け入れる側の論理 】

私は、以前にオウム信徒であった人は、その過去を隠したまま、社会に政治的な影響を与えるかもしれない行為をすべきではない、と思います。
いや、すべきでない、というより、して欲しくない、という方が正確かもしれません。かつてオウムが○○省といった国の機関を模したような内部組織を作り、どうやら本気で国家転覆を企てていたらしいと思われる節があり、事実としてサリン事件等複数の凶悪な犯罪行為を起こしていた、ことからすれば、そうした警戒心を社会の側が持つのも当然と思います。元オウム信徒であった人は、政治的や社会的発言を控えるか、そうでなければ自己の立場を明らかにしてから発言すべきでしょう。例えばアーレフのように。

だから松永氏もまた、政党主催懇談会への出席を辞退するか、もしくは、出席する前に過去を自ら公表すべきでした。さらには【きっこの日記】のようになにかと注目を集めるBLOGに関しては発言しないような注意深さを持つべきでした。
彼が本当にオウムから脱却し日本社会への復帰を望むのであれば、最低でもその程度の誠実さ(日本社会へ対する)を示して欲しかったのです。そしてこの誠実さを示してくれないまま、こういう形で過去が明らかにされてしまった以上、もはや自己の発言が額面通りには受け入れてもらえない、という現状を甘受するほかはない、のではないでしょうか。

松永氏は懇談会へ出席したことに関し、「認識の甘さについては、ご迷惑をおかけした各方面にお詫びせねばなりません」と述べています。
正直、私はこの一文にも引っかかりました。彼の認識は確かに甘かったでしょうが、問題は、その甘さがなにに由来するものか、現在もなお彼が突き詰めて考えているとは思えない、ことです。

その認識の甘さ、つまり認識の(日本社会の側が持つそれとの)乖離、こそ、オウムの犯した犯罪への視線の温度差、にほかなりません。
日本社会へ復帰するとは、このオウムの犯罪に対する日本社会側の認識を、その本人(元信徒であった人)も共有する、ことが不可欠です。この認識の共有が確かになされている、と感じられるまで、社会の側は残念ながら受け入れることはできないでしょう。
けれどもまた、社会の側は、彼らに帰ってきて欲しいと切実に願っているのも事実だと思います。真摯に教団と自己を突き詰めることでなんとかこの乖離を埋め、ひとりでも多くの元信徒の方々に、帰ってきて欲しいと思っています。


 
posted by 水無月 at 14:25| Comment(2) | TrackBack(2) | 国内(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。水無月さま

私は、直接この松永氏なる人を知らないのですが
表に出てきて
政治的発言をする
元、オウム信者が・・・・と聞くと
反省が無いんじゃなかろうか?という
疑問が先立ちます。

そういう温度差が不安を呼びます
また水面下で何かを企んでいるのではなかろうか?と

罪を憎んで人を憎まずとか
親の罪は、子供には関係ないとか
現在の法律では確かにそうかもしれない
でも、それを声高に加害者側から発せられると
なんだかなぁと

とりとめのないコメントになってしまいました
Posted by るか at 2006年03月16日 21:39
 
るかさん、こんにちは♪

私も、この記事を書いてから、松永なる人物について、ようやく少しずつ知識が得られ始めたところです。つまりほとんどなにも知らなかったので(笑

>反省が無いんじゃなかろうか?
実はこの記事も、松永氏の「備忘録ことのは」にトラックバックを送っていました。記事中にて引用した分に関しては、当人に引用(言及)していることをお知らせする意味で、トラックバックを送るようにしているのです。で、トラックバックは成功していたことを確認していたのですが、翌日くらいに削除されていました(笑
つまり、松永氏は、本記事を読み、その上で「備忘録ことのは」へのトラックバックとしては不適切と判断し、削除したのだと推測出来ます。

以上のことから、私もまた、松永氏はオウム信徒であった過去を「反省」してはいないようだ、という思いを強く持ちました。
「備忘録ことのは」は、松永氏にとってネット活動を続けていく上での理論的言い訳サイトであるとしか判断できません。彼は滝本弁護士にも接見しているようですが、これも同じです。彼は「反省」して滝本弁護士に会いにいったのではなく、社会的活動をする上での「お墨付き」を得るための手続きの一環として、「接見した」事実が欲しかっただけなのだと思います。したがって当然、今後彼が滝本弁護士の助言に従い、オウムによる被害者へ何がしかの金銭的援助(寄付等)をするにしても、それは彼の反省や悔悟の気持ちの表れではなく、おそらくネット上での発言権を得るため仕方なく払っているにすぎないのだろう・・・と、私は判断します。
けれどもまた、松永氏がこのように過去を清算できないでいる以上、もはや彼の発言が「オウムを超えて」社会に影響を与えることもないだろうと思いますよ。つまり彼は、ネット上での発言権を確保するために、社会的な発言権を失ってしまった・・・のだと思います。

私はそのように判断しましたが、新たなエントリを起こすことはもうやめました。これは彼の個人的な問題であって、もはや私の問題でもなければ、オウム全体の問題でもないと思ったからです。
つまり、松永氏という人はそういう人なのだと私は思いますが、元オウム信徒であった人のすべてが松本氏のようである、とも言えないでしょうからね。

オウムが社会に影響を与えるためには、過去の清算が不可欠です。過去を真摯に突き詰めてオウムを脱却した元信徒の人々が語り始めた時、なぜ若者がオウムへ走ったか、日本社会のどこが病み、なにが間違っていたのか・・・我々もまた考えなければいけないだろうと思います。
・・・が、今のところオウムやアーレフはまだ、過去の犯罪を乗り越えることは出来ていないように見えます。


>また水面下で何かを企んでいるのではなかろうか?と
これを危惧している人は多いと思います。
しかし公安の力は私の思う以上に強く働いているようですから(今回の松永氏の件も、おそらく公安サイドから氏の口座名などの情報が野田氏ら追求側にリークされたのだと思います)、過度に不安がる必要もないと思いますが・・・。

元オウム信徒が発言すること自体は問題ないと思います。誰にでも(犯罪者にも犯罪者の親族にも)発言する権利は保障されているべきだと思いますから。
怖いのは、元オウム信徒であったという過去を秘匿したまま、発言するケースです。元オウムであるという情報が明らかなら、受け手側でそれを考慮することも可能ですが、隠されていると、それができませんからね。

Posted by 水無月 at 2006年03月18日 14:43
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