そのように反応したくなる気持ちは、よくわかります。実際に国外から抗議が寄せられている以上、現実としても国内だけの問題、とは言えないでしょう。
また私は、外国は日本の靖国問題に抗議すべきでない、と言いたいわけでもありません。日本国内でなにが起ころうと、日本人がどう思おうと、外国はそれぞれの国の事情・論理で動くものです。それを良い・悪いなどと国内で論ずること自体が無意味ですから(可能なのは、有利・不利という価値判断だけでしょう)。
一方で、外国からの抗議を受けた結果、どのように行動するかは、その国の国内問題なのだ、というのも冷徹な事実です。アメリカが度重なる反核団体からの抗議を受けながらも、自国の論理で核戦略を進めるのと同じことです。
アメリカを変えることができるのはアメリカ国民だけであり、日本を変えることができるのも日本国民だけなのです。
先の【靖国問題・・・反対派が学ぶべきこと】で私が言いたかったのは、「反対派は靖国問題を国内問題として扱うべきである」ということでした。
一部の靖国参拝反対派は(先にコメントをいただいたかたが、そうだというわけではありませんが)、こう言うかもしれません。
「それでも、外国から実際に抗議が寄せられ、外交に支障を来たしている以上、一国の首相が、それをあえて無視し、混乱を招くのはいかがなものか」と。
私はこの、一見平和愛好的な反対意見こそ、国内を混乱させる元凶なのだと思うようになりました。
上の反対派の意見は、実はこう言い換えられるのです。
「外国から抗議が寄せられないならば参拝してもよい」
書いていて虚しくなりますが、そのように外国頼みに、非・主体的にしかものを考えられない人の意見に、耳を傾けようと思う有権者は稀でしょう。
それは、「その件について、中国の了解を取ったのですか? 取ってないでしょ?」と発言したといわれる岡田氏率いる民主党が、先の衆議院選挙でどのような評価を受けたか・・・を見れば、明らかです。
靖国参拝に本気で反対したいと考えるなら、外国からの抗議に頼らない反対の根拠を出すべきです。そしてその反対論拠を国内に問うべきなのです。
外国からの抗議は追い風程度(実際は逆風として働いていますが)に捉えておくのが正しい態度です。決して、それに頼ってはいけません。
思うに、外国が抗議しているから反対! と言う人は、説得されて反対派に回っただけの人なのではないでしょうか(この説得には、外国からの抗議も含みます)。けれどそうした人々は、参拝賛成派が現在続々と提出してきている「外国からの抗議は国益を損なっていない」証拠や主張に触れたとたん、参拝賛成派にまわる可能性を秘めています。
現在起きているのはそうした事態だと思います。
参拝反対の意見の人のうち、「中国や韓国などとの友好関係に影響する」ことを理由に挙げる割合が7割を超えている・・・先の世論調査は、反対派の崩壊が間近に迫っていることを示す警鐘です。
反対派の皆さんが、なぜここに危機感を見出さないのか・・・不思議です。
もうひとつついでに・・・。
参拝反対派のBLOGを見て思ったことですが、「小泉氏は
これも、反対のふりをした、実は反対派瓦解論のひとつです。
靖国参拝問題を首相個人の性格や資質に結び付けるのは自殺行為です。それなら、議員になる前から参拝を続けていたような人物が首相として参拝した場合には、「信念がある」から「賛成」に回るということですか?
首相が小泉氏であろうと誰であろうと反対する、そういうスタンスを保持して欲しいですね。
反小泉陣営の人々や親中・親韓派の人々が靖国問題を「利用」し、結果として参拝反対派を衰退させている・・・それが現状なのかもしれません。
【 ◇靖国問題の最新記事】


@「反対派は靖国問題を国内問題として扱うべきである」
単に、憲法の「政教分離」に照らすだけならそうかもしれません。しかし、「靖国」を侵略の思想的背景に据え、他国を侵略し、殺戮し、主権を踏みにじり、しかもその時の戦犯を「神」として祀っている事実がある限り、「国内問題」に矮小化してはいけない。
A「外国から抗議が寄せられないならば参拝してもよい」
こんな反対派は居ませんよ。
あなたは「こう言うかもしれません」と、勝手に反対派の考えを作り上げ、さらに勝手に「抗議がこなければ参拝してもいい」と言い換えられると言い、勝手に「空しくなって」おられますが、
こう考える人は、逆に賛成派の中に隠れている考えです。
もちろん、一部の賛成派でしょうが。
@「反対派は靖国問題を国内問題として扱うべきである」
このように考えない限り、賛成派に勝つことはできません。
medalistさんは
国内問題に矮小化するか、しないか、の神学論争に勝つことと
現実の政治に勝つことと、どちらを重視しているのですか?
A「それでも、外国から実際に抗議が寄せられ、外交に支障を来たしている以上、一国の首相が、それをあえて無視し、混乱を招くのはいかがなものか」
という意見は
「外国から抗議が寄せられないならば参拝してもよい」
と言い換えることができる、というのが本文の趣旨です。
medalistさんとは違い、私は、このように主張する人は多いと見ています。
そしてこのように主張する人は、反対派のふりをした実は賛成派だ、という意見には、私も同意します。
また、コメントさせていただきます。
@については、(神学論争かどうかは別として)どちらも重視しております。
まず、「国内問題」として扱うことにより、賛成派からは中国、韓国からの抗議は「内政干渉」だ、という反論が必ず起こり、現実に起こっております。。
そして「内政干渉」で国民に、中・韓両国の抗議を不当なものとしてアピールし、政治的に利用するのです。
「靖国問題」を解決していくには、反対派が選挙に勝ち、政権をとることが一番でしょうが、その過程で、賛成派の論理に乗っかることは、相手を利することになります。
また、中・韓両国の抗議=「内政干渉」という単純な等式を持ち出すことで、歴史にたいして対座せず、「お参りして何が悪い、日本国民なら参拝するのは当たり前、よその国がごちゃごちゃ言うな!」という、いつもの賛成派の言い分にたどり着くことになります。
目的(政治的勝利)も大事ですが、その目的を達成する過程も大事ということです。
A単に「言い換え」が趣旨であるということですので、コメントありません。
Aはもうよいと思うので、@についてのみお返事しますね。
長くなりましたがご容赦ください(汗
>「内政干渉」で国民に、中・韓両国の抗議を不当なものとしてアピールし、政治的に利用する
まずこの部分ですが、外国からの抗議を「政治的に利用する」ことは、現状では、賛成派、反対派のいずれもが行っている、というのが私の認識です。反対派の一部は、外国から抗議が来たのを、まるで援軍でも来たと感じているかのような言動を取っています。靖国問題に関して本来反対派の私でさえそう感じるのですから、態度保留派や賛成派の人の目には、尚更そう見えるだろうと私は懸念しています。
賛成派が外国の抗議を利用する方法は、medalistさんがおっしゃるように、中国・韓国からの抗議自体を不当なものとアピールすることによって、でしょう。昨今の嫌中・嫌韓の風潮の中で、この方法はある程度の成功を収めているかもしれません。
しかし外国からの抗議自体は、その当事国の事情でされるものですから、本来、日本国内で正当・不当を論じ合っても意味がないのではないでしょうか? 外国からの抗議を不当だと感じる人に、それが不当ではないという説明を、なぜ(誰のために?)日本人である反対派がしなくてはいけないのか。・・・おかしいと思いませんか? 参拝反対派が中国や韓国の代理人や代弁者である必要はまったくありません。中国や韓国の代弁者だと受け取られる言動も注意深く避けるべきです。
medalistさんは、先に「外国から抗議が寄せられないならば参拝してもよい」という考えではない、とおっしゃいましたよね? そうであれば、外国からの抗議と参拝の可否は切り離して考えられるはずです。
>「国内問題」として扱うことにより、賛成派からは中国、韓国からの抗議は「内政干渉」だ、という反論が必ず起こり
この部分ですが、私の認識は逆です。反対派が国内問題だという態度・認識を強く保持することで、外国からの抗議は内政干渉と受け取られなくなると思います。
>過程で、賛成派の論理に乗っかることは、相手を利する
賛成派の論理に乗っかる必要はないですが、賛成派の論理を知り、分析することは必要ですよ。
それはなぜ、自分達の主張が広まらないか、を見つめることにも繋がるはずです。そして、もし利用できるところ(論理など)があるなら、利用すればよいのです。政治とはそうしたものだと思っています。
国内問題かどうか、に関しては、medalistさんはNOと考え、私はYESと考える。そこに妥協点は見出せないでしょう。私としては、日本国内では内政問題と考える人が多いだろうと思います、と申し上げるまでです。
そして、内政問題と考える人に「外交問題だ」と考えを変えてもらう努力をするより
自分自身は外交問題だと思っても、内政問題と考える人にも受け入れられる論拠を提出することに努力を傾けた方が、益があると思いますが、いかがでしょう?
>歴史にたいして対座せず
私が賛成派の代弁者になるのも変な話ですが、中・韓両国の抗議=「内政干渉」と考える人や、靖国参拝に賛成する人が、イコール、歴史に対して対座していない、と定義するのは乱暴すぎると思います。
靖国参拝に賛成する人を歴史に対座していない、と非難することは、参拝に反対する人を中・韓の代弁者にすぎない、と評価するのと同じくらい、乱暴で不毛な決めつけだと思うのですが。
>「お参りして何が悪い、日本国民なら参拝するのは当たり前、よその国がごちゃごちゃ言うな!」
この賛成派の言い分がもし、国内で広まっていると仮定するなら、medalistさんは「それがなぜなのか」を考えたことがありますか? どこの部分が現代の日本人の共感を得ているのか・・・。
medalistさんは、外国の人々の気持ちでさえ共感できる御方のようですから、日本人の気持ちにも共感できますよね? そのうえで、そうした賛成派の人々を説得し、反対派にまわってもらうためにはどうすればよいのか、を、考えることが大切だと思います。
俺も靖国の問題は国内問題として論じる時と、外交カードとして論じる時で分けて考えるべきだと思っています。内政干渉という批判も当たっている面があると思いますし。
長くなりそうなのでトラックバック送らせていただきました。
コメントとトラックバックをありがとうございました。
参拝反対の立場の方で、外交と内政とは切り離して論じるべきだという私の考えに、最初から理解を示して下さったのはガクさんがはじめてです。嬉しく思います。
記事の方・・・拝見致しました。
ガクさんのように若い方が、靖国神社の大東亜戦争観には違和感を感じる・・・とおっしゃる記事に触れると、本当にホッとします(笑
私も、靖国神社の在り方自体に違和感を持っています。
ただ、亡くなってすでに祀られている方(加害者・被害者とも)を、生きた人間の都合であっちからこっちへと動かしてよいものか、という意見(別に賛成派に限りません)も、少なくとも私個人にはわかるのです・・・。死者への畏怖というか、敬意というか。
靖国神社以外の慰霊施設を作る際の最大のネックはそこで(靖国神社側も拒否している)、日本人の持つ自然な宗教感覚と戦争観と・・・両者にうまく折り合いをつけて、解決できたらいいんですけどね・・・。
mixi日記まで見られてしまったということで、ちょっと狼狽してしまいましたが(笑)、どうぞ今後とも、よろしくお願いします。
こちらからもトラックバックをさせていただきました。
と、言うような事が書かれた資料を以前とある人に紹介してもらったので置いていきますね。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/index.html
>靖国神社に対する違和感
A級戦犯の合祀には同意できても、あの大東亜戦争観そのものに素直に同意できる人って、若い世代(と自分で言うと照れますがw)でもそういないと思いますよ。
mixiは、plummetさんの日記のコメントから辿ったんですよ。コレも何かの縁ですので、こちらこそよろしくお願いします。
資料ありがとうございました。
「
この施設における追悼は、それ自体非常に重いものであるが、平和祈念と不可分一体のものであり、それのみが独立した目的ではない上、「死没者を悼み、死没者に思いを巡らせる」という性格のものであって、宗教施設のように対象者を「祀る」、「慰霊する」又は「鎮魂する」という性格のものではない。したがって、前述のような死没者一般がその対象になり得るというにとどまり、それ以上に具体的な個々の人間が追悼の対象に含まれているか否かを問う性格のものではない。祈る人が、例えば亡くなった親族や友人を悼むことを通じて戦争の惨禍に思いを馳せ、不戦の誓いを新たにし、平和を祈る場としての施設を考えているのである。
」
この部分でしょうかね?
「窓」という説明はわかりやすいですね!
確かに「窓」なら、戦没者の霊はそのままに、こちら側から祈ることができそうな感じです。私の認識不足でした。
私も新施設の建設には賛成です。今後、同じ理由(死者への配慮)で疑問を感じている人に出会ったら、「窓」の説明で理解を求めてみます。
実生活で若い人と話す機会ってほとんどないですし、政治的なこととなるとなおさら・・・ですから、どうしてもネット上の意見をみて世代の雰囲気を想像するというふうになってしまうんですよね。
靖国神社については今後も勉強していきたいと思っていますが、この件についてもそれ以外でも、また気づいたことがあったら教えてくださると助かります。
plummetさん・・・今見たらマイミクでいらしたんですね。気づくのが遅すぎ〜!(汗
そうですね、これも縁でしょう。お知り合いになれて嬉しく思います。
また、コメントさせていただきます。
「外国からの抗議を「政治的に利用する」ことは、現状では、賛成派、反対派のいずれもが行っている、というのが私の認識です。」
*この部分ですが、政治的に利用する(出来る、と言ったほうがいいかもしれません)のは賛成派というのが私の考えです。反対派は、賛成派が中・韓の抗議を不当とする見解に反論するだけです。
外国からの抗議を政治的に利用することは、反対派にはできないと考えます。
というのは、日本国民のイデオロギーに対する支配と実行は参拝賛成派(おもに自民党及びその取り巻き)が握っており、その支配と実行の結果として「嫌中・嫌韓の風潮」をつくりだしているのであり、そのような「風潮」のなかで、「利用」できるとは思いません。たとえば、このあと書きますが、「代理人、代弁者」として反対派を攻撃することなどに賛成派は利用するのです。
賛成派のみが、自らの作り物である「嫌中・嫌韓の風潮」を使って「外国からの抗議」を政治的に利用できるのです。
次の部分
「しかし外国からの抗議自体は、その当事国の事情でされるものですから、本来、日本国内で正当・不当を論じ合っても意味がないのではないでしょうか? 外国からの抗議を不当だと感じる人に、それが不当ではないという説明を、なぜ(誰のために?)日本人である反対派がしなくてはいけないのか。・・・おかしいと思いませんか? 参拝反対派が中国や韓国の代理人や代弁者である必要はまったくありません。中国や韓国の代弁者だと受け取られる言動も注意深く避けるべきです。」
*「外国からの抗議自体は、その当事国の事情でされる」と思います。ですから、日本に対する抗議の内容について正当、不当を論じる必要があります。外国からの抗議にたいして、内容が不当であれば反論し、正当であれば受け入れなければなりません。
靖国参拝に限らず。
*「外国からの抗議を不当だと感じる人に、それが不当ではないという説明」をするのは、「正当と感じる人に、それが正当ではないという説明」を賛成派がするのと同じ。
日本に向けられた抗議であるから、日本人が「正当」「不当」の議論をお互いにするのです。
*「参拝反対派が中国や韓国の代理人や代弁者である必要はまったくありません」
反対派が「代理人や代弁者」になったことはありません。ひとつの問題にたいして、国が違えど同じ認識であるから、同じ発言になるだけです。
*「中国や韓国の代弁者だと受け取られる言動も注意深く避けるべきです。」
賛成派及び傍観者に配慮する必要はなく、反対の主張を堂々とすればいいのです。
次の部分
「medalistさんは、先に「外国から抗議が寄せられないならば参拝してもよい」という考えではない、とおっしゃいましたよね? そうであれば、外国からの抗議と参拝の可否は切り離して考えられるはずです。」
*あたかも反対派が「参拝してもよい」と考えているかのような「言い換え」にたいして、これは賛成派に隠れている考えだと書きました。賛成派の考えだからこそ、抗議と参拝の可否を切り離して「国内問題」としてのみ捉え、参拝を強行するのです。
次の部分
「私の認識は逆です。反対派が国内問題だという態度・認識を強く保持することで、外国からの抗議は内政干渉と受け取られなくなると思います。」
*申し訳ありませんが、よく理解できません。
次の部分
「賛成派の論理を知り、分析することは必要ですよ」・・同意します。
次の部分
「内政問題と考える人に「外交問題だ」と考えを変えてもらう努力をするより、自分自身は外交問題だと思っても、内政問題と考える人にも受け入れられる論拠を提出することに努力を傾けた方が、益があると思いますが、いかがでしょう?」
*私がブログで「靖国問題は国内問題ではない」とかいたため、外交問題オンリーの立場だと思われているかと思いますが、前回書いたように、日本国憲法の「政教分離」や総理大臣の侵略戦争にたいする認識を日本国民が論じるのは「国内問題」であります。しかし、侵略された国が存在し、その侵略の戦犯を合祀している神社に参拝することに対して被害国から抗議があるのだから、単に「国内問題」だけではなく「外交問題」でもあるということです。被害国の存在を抜きに「参拝」を論じられないことを「国内問題」としてのみ考えている人に、受け入れられるよう努力することは必要ですね。
以上です。
medalistさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。冒頭から順番に・・・。
○外国からの抗議の政治的利用の件
>日本国民のイデオロギーに対する支配と実行は参拝賛成派(おもに自民党及びその取り巻き)が握っており
私は、日本国民のイデオロギーを「自民党及びその取り巻き」が支配しているという考え方自体に根本的に不賛成です。この項に関する以降の議論は無効だと思います。
○外国からの抗議の正当性・不当性について
>日本に対する抗議の内容について正当、不当を論じる必要があります
>日本に向けられた抗議であるから、日本人が「正当」「不当」の議論をお互いにするのです
この部分に異議はありませんが、その議論は、すでになされている・・・と思います。それが昨今の、歴史認識を巡る議論でしょう。そしてこの議論の結果、不当と感じている人が増えているのだと思います。
私は、今後、議論すればするほど、残念ながら「不当派」(≒賛成派)が増えていくだろうという見通しを抱いています。だから反対派こそ議論を避けるべきだ、と主張しているのです。先に差し上げたコメント中で「意味がない」と書いたのは、そうした意図からです。
意味がないのは反対派にとって、です。賛成派にとっては意味があるかもしれませんね。
>外国からの抗議にたいして、内容が不当であれば反論し、正当であれば受け入れなければなりません
「なければならない」・・・で政治が動いてゆくなら、さぞ楽でしょうが、現実の政治とはそうしたものではありません。
また、内容の正当・不当を判断するのはその国の国民(の世論)なのだ、という認識はおありですか? つまり、正当・不当・・・は、結局のところ、民意によって決まるのだ、ということです。何度も同じ例を出していますが、米国に反核団体がいくら抗議しても米国の核戦略がそのように(=反核団体の主張に沿うように)は動かないのと同じですよ。
>賛成派及び傍観者に配慮する必要はなく、反対の主張を堂々とすればいいのです
賛成派や傍観者に配慮せず主張しても、その考えが受け入れられることはないでしょう。こうした態度こそが、まさに左派リベラルの犯している典型的な誤り=敗者の思考回路なのだと思います。
○内政問題か、外交問題か
>侵略された国が存在し、その侵略の戦犯を合祀している神社に参拝することに対して被害国から抗議があるのだから、単に「国内問題」だけではなく「外交問題」でもあるということです
申し訳ないですが、私はこの部分には同意できません。
抗議の結果、「外交に支障が生じる」ことも現実にあるでしょう。それは確かに外交問題です。しかしその外交問題(=外交に支障が生じること)と、靖国参拝問題とは別の問題だと考えています。
ひとりひとりの有権者が、靖国参拝の是非を考える際に、外交問題を一要素として考慮するのは当然です。それをmedalistさんは、「外交問題でもある」という言い方で述べておられるのかもしれません。しかし、今現在参拝に賛成している人は、すでにその要素を考慮した結果として賛成しているのだから、今以上に外交的要素を強調するのは逆効果だ、というのが私の見方です。
また、前段の「侵略の戦犯を合祀している神社に参拝することに対して被害国から抗議がある」
この部分ですが、賛成派が現在提出してきているのは「A級戦犯は戦犯ではない」と「被害国の被害への補償はすでに終わっている」の二点だと思います。そしてその論争の現状は、私の見るところ、互角か、もしくは賛成派がやや優勢・・・です。先の正当・不当の話と根は同じですが、今後は議論すればするほど、反対派は数を減らしてゆくように思います。
(なお、歴史認識自体についての議論は、当BLOGで行うつもりはありません)
最後に、前段と後段を結ぶ「だから」ですが、現在日本には、この「だから」がすんなり理解できる人と、それに疑いを持っている人がいるのだと思いますよ。
>被害国の存在を抜きに「参拝」を論じられないことを「国内問題」としてのみ考えている人に、受け入れられるよう努力することは必要
靖国問題について考える際に、被害国の存在を抜きに(=考慮しないで)考える日本人など、まず、いないと思います。考慮した結果、賛成(反対)しているのですよ。
なお、私自身も国内問題として扱うべきと考えていますが、被害国の存在を抜きに考えているわけではありません。被害国の存在を考慮するからこそ、国内で参拝反対派が「勝つ」ためには、国内問題として扱うべきだ、という結論に達したのです。
そのほかの部分に関しては特にお返事を差し上げる必要を感じませんでした。
読ませていただきました。
私の考えを書きましたし、あなた様の考えも読ませてもらいました。これ以上、コメントはしません。
尚、自民党の憲法草案が発表されましたね。
特に、自衛軍の保持と現憲法第9条2項の削除が気になります。
日本の右傾化に反対するため、私なりにブログで書いていくつもりです。
再度のコメント投稿・・・ありがとうございました。
九条・・・に関しては、今後改憲反対派がどのような運動を展開するのか・・・注目しています。
そして、それを見た結果を踏まえた私の考えや認識は、私もまたmedalistさん同様、BLOGという形式で報告してゆきたいと思っています・・・。
>以来の「参拝公約」は首相の自然な思いの表れだった。
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2001/yasukuni/news/20010817-186.html
fooさん
誤 「小泉氏は首相になる前は参拝していない。
正 「小泉氏は議員になる前は参拝していない。
ですね。訂正しました。