2005年10月30日

靖国問題・・・A級戦犯の両義性

【A級戦犯には両義性がある】

靖国問題ではいろいろな立場の人がいろいろな観点から意見を述べていますが、議論が紛糾する理由のひとつに、A級戦犯の両義性・・・があることを、私は指摘しておきたいと思います。

A級戦犯・・・。極東裁判で有罪とされた人々ですね。もちろん、ほかにB級、C級・・・もあるわけですが、靖国問題において話題になることは少ないようです。

その両義性を、この場では仮にA論、B論と名づけて整理してみたいと思います。


<A論>
先の大戦における日本の戦争責任はA級戦犯にある・・・というもの。これが日本の建前でしょう・・・国内でも、国外向けにも。これは、日本でよりも近隣諸国の方がむしろ明快に述べています。
「日本の戦争責任はA級戦犯にあると理解する。だから我々は個々の日本人に責任を問うことはしない」ゆえに「A級戦犯を祀る靖国神社への日本国首相参拝は許容できない」という、実に首尾一貫した論理です。

<B論>
もうひとつのA級戦犯・・・。それは、A論から逆説的に導き出されます。つまり、A級戦犯とは、本来は日本国民全体にあった戦争責任を、象徴的・形式的な形で代わりに背負った人々である・・・という論理です。またここにはもうひとつ、彼らが責を負って処刑されたことにより、戦勝国による戦争責任の遡及から昭和天皇及び天皇制を守った・・・という側面も、同じロジックを持つものとして加えることができるでしょう。
つまり、A級戦犯とは、国内的な意味においては日本国民や天皇のために犠牲になった人々である、というわけです。


【祭祀伝統に逆らうA論 と 論理破綻のB論】

A論とB論・・・。A級戦犯の持つ両義性・・・を、日本人はまだ十分に消化できていないようです。

「国内的な意味からすれば犠牲者である」というB論は、A級戦犯を祀る靖国神社へ首相が参拝することで、結果的に60年前の戦争責任を国内外から再度問われる事態を呼び起こしてしまい、戦争責任をすべて背負った、という前提そのものを崩す結果となっています。
犠牲者であるなら首相の参拝が許されて当然のはずなのに、参拝することでA級戦犯の犠牲部分に疑問が生じる・・・という矛盾。B論からの参拝賛成論は論理破綻を来たしているように見えます。

一方の、あくまで戦争犯罪人として扱うべきである・・・というA論ですが、これには、日本の祭祀伝統から外れている、という批判が繰り返されています。つまり、日本人の素朴な宗教感情に合わない、ということでしょう。


祭祀伝統・・・に関しては、よく、日本は過去の過ちを水に流す国民性だ、という説明がされていますが、私の理解では、B論の背景にあるのは単なる「水に流す国民性」を超えた、より強固な伝統のようです。
日本には聖徳太子の時代から、歴史上の敗者や罪びとこそ手厚く祀りあげる・・・という伝統があります。梅原猛氏言うところの、いわゆる怨霊史観・・・です。聖徳太子一族は法隆寺に祀られ、菅原道真や平将門・・・も、その不遇な死後、手厚く葬られています。そのように祀りあげる主体は、いずれも時の権力者であるのが特徴です。自らが滅ぼしたかつての敵を祀ることによって、怨霊化を防ぎ、さらにはもっと積極的に、守護者となってくれることまでを期待するのです。
昨今の靖国問題を巡る論争を見ていると、私にはどうも、B論を主張する(主に参拝賛成派の)人々の意識の底に、この怨霊史観的な発想が潜んでいるような気がしますね。

そうなると、A級戦犯こそ、現代日本を祟らないよう、むしろ手厚く葬るべし、となるはずです。怨霊史観・・・という言葉でなくとも、「A級戦犯は犠牲者だ」という言説そのものの中に、A級戦犯の慰霊や鎮魂を欲する気持ち、A級戦犯への申し訳なさ(贖罪意識)・・・が込められているように思います。


A論とB論・・・。
私には、一方が他方をねじ伏せるべきだ、とは思えません。また、そうしようとしても、必ずどこかで破綻を来たすでしょう。
日本人がなんとか知恵を出しあって、両論ともが成り立つような靖国神社や戦没者慰霊の在り方を考えるべきだと思います。


【具体的な解決法はあるのか】

靖国問題打開のため、靖国神社以外の追悼・平和祈念施設の建設を望む声もあります。
これは、小泉氏をはじめとする歴代首相が靖国参拝の目的を「戦没者の追悼」「平和祈念」と内外に向け説明していることを受けたものでしょう。近隣諸国も、A級戦犯の合祀がされていない新施設の建設、及びそれへの参拝を望んでいるようです。

ただし、ひとつ気になるのは、現在官邸が進めている新施設は「慰霊を目的としない」追悼施設であることです(末尾資料参照)。
慰霊や鎮魂を目的としない新施設での祈念・・・は、A論からすればまったく正当なものですが、逆にB論からすればまったく無意味です。
靖国問題・・・反対派が学ぶべきこと】の資料部分で示した通り、現在新施設建設に賛成している国民は先の世論調査によれば六割以上(2/3弱)ですが、この新施設の、追悼はするが慰霊はしない、という内容を正確に理解したうえで賛成しているのかどうか・・・が、不安の残るところですね。

新施設が建設された段階の世論が「首相は新施設へ行くべきであって靖国神社へは当然のことに参拝すべきでない」となっていれば問題ないですが、もし「戦没者(やA級戦犯)の慰霊」にこだわるB論者が一定割合以上で国内に存在していた場合、将来のいつか、B論に深く傾倒した首相が誕生して新施設があるにもかかわらず靖国神社参拝を行う・・・という事態を招くかもしれません。

靖国問題にはいろいろな角度からの切り口がありますが、「A級戦犯も含めた戦没者の慰霊を行うべきだ」と考えるB論者をどう満足させるか・・・。そこがまったく論じられていないのが不安です。


なお、私自身の私見を述べるなら、A級戦犯を含めた戦没者すべての「慰霊」や「鎮魂」は、首相でなくむしろ天皇が行うのが筋だと考えています。
天皇は過去に亡くなった人々の慰霊のため靖国へ、首相は将来の平和祈念のため新施設へ・・・。これが一番スッキリしていると思います。


         ◇         ◇         ◇


資料【追悼・平和祈念のための記念碑等 施設の在り方を考える懇談会】首相官邸報告書
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/kettei/021224houkoku.html

第3 追悼・平和祈念施設の基本的性格

 4「
 この施設における追悼は、それ自体非常に重いものであるが、平和祈念と不可分一体のものであり、それのみが独立した目的ではない上、「死没者を悼み、死没者に思いを巡らせる」という性格のものであって、宗教施設のように対象者を「祀る」、「慰霊する」又は「鎮魂する」という性格のものではない。したがって、前述のような死没者一般がその対象になり得るというにとどまり、それ以上に具体的な個々の人間が追悼の対象に含まれているか否かを問う性格のものではない。祈る人が、例えば亡くなった親族や友人を悼むことを通じて戦争の惨禍に思いを馳せ、不戦の誓いを新たにし、平和を祈る場としての施設を考えているのである。



第4 追悼・平和祈念施設と既存施設との関係

 1「
 靖国神社の社憲前文によれば、靖国神社は、「國事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため」「創立せられた神社」とされている。これに対し、新たな国立の施設は、前述のような死没者全体を範疇とし、この追悼と戦争の惨禍への思いを基礎として日本や世界の平和を祈るものであり、個々の死没者を奉慰(慰霊)・顕彰するための施設ではなく、両者の趣旨、目的は全く異なる。
 また、靖国神社は宗教法人の宗教施設であるのに対し、新たな施設は国立の無宗教の施設である。この性格の違いは、異なった社会的意義を保障するものである。

posted by 水無月 at 00:42| Comment(17) | TrackBack(0) |   ◇靖国問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とりあえず今回も内政的な問題として考えた場合のコメントをさせてもらいます。

個人的には靖国神社的な「慰霊」や「鎮魂」は国家権力によってなされるのでなく、国民の側で民間信仰としてやれば良いと思うんですよね。

で、
>B論に深く傾倒した首相が誕生して新施設があるにもかかわらず靖国神社参拝を行う・・・という事態
についてですが、コレはOKだと思います。私人のレベルでは首相とて一国民には違い無いのですから。しかし、あくまで国の代表としては新施設に行くべきだと。

天皇陛下の参拝についてですが、これは悩ましいですね。考えがまとまっていないのですが、何となく両方、そして千鳥ヶ淵なんかにも行って頂きたい感はあります。
Posted by ガク at 2005年10月30日 18:32
ガクさん、こんばんは♪

ちょうどA級戦犯のことを考えたいと思っていた時に、例の資料を教えていただいたので、それと絡めて考えてみました。コメント感謝です。
個人的には・・・とあるので、ガクさんのお考えに異論はないです。
政治問題としての解決の可能性から考えると、
「国家としての、あくまで慰霊、を望む国民がどの程度存在するか」
「公人・私人の別はどの程度説得力を持つか」
・・・の二点あたりでしょうね。

靖国神社への天皇参拝論ですが、これ、まだあまり話題になってないですけど、A級戦犯のことを考えると、これが一番スッキリすると思うのですよね。A級戦犯も含めた戦没者一般(そしてご遺族)の感情からしても、その方たちは当時の国のために命を犠牲にしたわけで、当時は天皇が国体を表すと考えられていたのですから、天皇から慰めてもらうのが一番納得できると思うのです。そのかわり遺族会は、首相の参拝は求めない・・・という立場に変わってくれたらいいなぁ・・・と。
そして天皇自身が政治から距離を置かなくちゃいけない存在のはずですから、同様に政治に触れることがタブーの宗教施設と接点を持っても、政教分離云々の問題は起こらないはず・・・。というか天皇は皇孫であって神道からすれば頂点に立つ御方ですから。
むしろ数年で顔が変わる首相なんかより、天皇の方が、「国家としての慰霊」には相応しいのじゃないかと・・・。というか、戦没者の慰霊もしないようなら、「天皇」を日本が持つ意味ってなんなんでしょう? 統治(政治)もしない、祭祀(慰霊)もしない・・・するのは国際親善だけ? そんなのタレントやスポーツ選手の方がずっと貢献できるんじゃ・・・? そんなふうに思ったのですよ。
・・・不敬罪だってクレーム来るかな・・・このコメント・・・(汗
Posted by 水無月 at 2005年10月30日 23:31
靖国反対の左派論調のブログではじめてまともなブログを見ました。空想的平和主義や感情的左派とも違いますね。
私は「日本人にとっての敗戦責任者」を神として祀る施設にわざわざ行政の長たる首相が参拝するのは納得がいかないのです。

「勝てるのに負けた」と主張する方もいます。「短期決戦でなくてはいけなかった」「戦力が残っているうちに講和するのがセオリー」という声も多く、少なくとも日本を敗戦に導いた責任が日本人に対してあると考えています。

しかし、天皇の参拝ならば賛成できます。
政治的行事としての靖国参拝は敗戦責任の考えからNOだが、宗教的あるいは文化的?行事としての参拝ならばYES。

この考え方矛盾してますかね?無学無才なものでご指摘をいただけると幸いです。

最後に「まともなリベラル」が育成されるのはもう少し時間がかかるかもしれませんが、水無月さんのような人が増えることを祈っています。
Posted by ナンバー8 at 2005年10月31日 12:48
こんばんは。少し考えたのでまた書かせて頂きます。

>「国家としての、あくまで慰霊、を望む国民がどの程度存在するか」
結構いると思います。
ただ、もし国家が「慰霊」や「鎮魂」をするとなった場合には、国家は「霊」や「魂」をどう言うものとして扱うかを国民に示す必要があると思います。
しかし、死生観と言うのは宗教の根幹ですので、それをすると政教分離に引っかかると思うんですよね。

>公人、私人の別
今でもあまり説得力を持っていない気もしますがw
「私人」の領域が認められないのであれば、首相は在任中は行くべきではないと思います。

>天皇陛下の参拝
個人的な感覚としては総理大臣よりも天皇の方が上なので、実は天皇陛下も行くべきでは無いとも思うのです。しかしおっしゃるように、神道の象徴とも言うべき存在ですので。神道施設である神社に行くべきではないと言うのも矛盾しているような気がしますし……もどかしいのですが、やはり「有り」ですかねぇ。うーん。

ちなみに俺は、「天皇は日本人の世界観、歴史を象徴する存在であり、日本を日本たらしめている」と考えています。ので、まぁ、いてくれればそれで良いかとw
Posted by ガク at 2005年10月31日 18:56

コメントありがとうございます。


>ナンバー8さん

嬉しいお言葉をありがとうございます。
>政治的行事としての靖国参拝は敗戦責任の考えからNOだが、宗教的あるいは文化的?行事としての参拝ならばYES。

これ、どこもおかしくないと思います。一番素直で普通の感覚だと思いますよ。いや、私もほぼ同じ意見ですから(笑

「まともなリベラル」・・・私自身については自信がないですが、増えて欲しいですね、本当に!


>ガクさん

コメントありがとうございます。大歓迎です♪

まず、国家と「鎮魂」「慰霊」の件。
>国家は「霊」や「魂」をどう言うものとして扱うかを国民に示す必要がある
>死生観と言うのは宗教の根幹

どちらも正論です。本来的には。
ただ、日本というのはちょっと特殊な多信仰容認主義というような土壌があると思うんですよね。なので、もしかしたら、「国家による特定の信仰に寄らない慰霊施設」というものも、許容されてしまうかもしれません。
今ちょっと検索してみたら、↓のようなのがありました。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/gentai/irei_tuitou/sikiten.html
つまり長崎の祈念式典では「慰霊」を前面に出していて、日本人は特にそれを変とも感じないわけでしょう? たぶん、広島も同じじゃないでしょうか。
だから、新施設の目的に「慰霊」を加えることも可能だと思います。しかしそうすると、今度は「誰を?」という問題が当然生じますから、「A級戦犯は除く」という一種の宣伝というか宣言が必要となるでしょう。あるいは、「犠牲者一般の霊を対象とするものであり、参拝や祈念をする人が個々の亡くなった方を思い浮かべればよい」というような説明が必要でしょう。それが理解を(隣国からも)得られるのであれば、そこへ首相が行くことで、国家としての慰霊を行っている、という論法も成り立ちますよね。
ご遺族の方々がそこで納得してくれれば、靖国問題はそれで解決できると思います。


>公人・私人の別
これ、法律的に解釈すると、私人ならOK、としか言えなくなるんですよね(笑
しかし混乱を招いているのは現実としてあるわけですから、ガクさんの言われる通り、「在任中は行かない」でいて欲しい。
けれども、それを法的に強制は誰もできないわけなので、「在任中は自粛」という選択を首相が自らする、そしてその選択が「成熟した人柄」「適格な判断力を持つ」というように日本国内から歓迎される・・・というようなムードを作り出せれば、一番いいと思います。
実際、小泉氏を歓迎する人がいる一方で、「子供っぽい人だ」というふうに醒めた見方をしている人も絶対にいると思うのですよ。
ただ、自粛を政治家本人が選び、それを国内が好意的に評価するための前提条件として、新施設は必要だと思います。それが「慰霊」までを目的としていれば、なお良い・・・のじゃないかと。


>天皇
ガクさんの天皇観・・・参考になりました。

天皇に宗教的透明性を求めるのは、戦後日本の「政教分離が清潔だ」という感覚を極限まで突き詰めた結果なのでしょうね・・・。
しかし本来は、@天皇は政治参加すべきでない → A天皇が祭主である神道も政治参加すべきでない の論理で、GHQは政教分離を日本に求めたのだと思います。
もっとも歴史的に見ても、天皇家は仏教の普及に力を入れたりしてきた存在ですから、もともと神道べったりじゃなくて、宗教的中立性・透明性は持ってたのですよね。天皇と神道の結びつきを強調したのは明治政府ですから。
だから、天皇に宗教的中立性を求める気持ちもわかりますよ。でも、天皇が靖国神社へ行くのはおかしい、というのはおかしいです(笑

実際、昭和天皇は何度か靖国神社へ参拝されてたようですね。ただ、A級戦犯が合祀されて以降は、それこそ「自制」なさったのか、参拝が絶えてしまった・・・。天皇の高潔な精神性を政治家諸氏が見習ってくれたら・・・なにも問題はないんですけどね(苦笑

Posted by 水無月 at 2005年11月01日 00:20
まだまだ自分の中でもまとまらない部分があって、本当に難しい問題だと実感していますが…

ただ一点、天皇陛下が現在の靖国神社に参拝なさると、「A級戦犯は天皇制存続のための犠牲者だ」と言うイメージにお墨付を与えてしまう気がするんですよね。ですので抵抗を感じてしまう訳なんです。
Posted by ガク at 2005年11月01日 02:33
日本人が日本の法律で日本人を裁く。この当たり前であるはずのことが「敗戦」に関してなされたでしょうか?法治国家ならば避けて通れないのでは?と思うのですが・・・私が不勉強なだけでしょうか?
極東軍事裁判で外人によって裁かれた人々は「国内的に戦犯ではない」という新しい政府会見。理解できます。そのとおりだと思います。しかし、だからこそ、日本人が日本人の手によって日本人を裁かなくてはならないのではないでしょうか。しかしどの政党もそうは言わないのはなぜ?
わからない・・・・
Posted by ナンバー8 at 2005年11月01日 18:13
コメントありがとうございます。

>ガクさん

ガクさんの抵抗感・・・。わかるような、わからないような・・・(苦笑
私はたぶん、ガクさんと対極の考えなのでしょうね。

私としては、「A級戦犯は天皇制存続のための犠牲者だ」というのは、史実に近いと思っています。歴史とは多くの人がその観念なり解釈を共通してはじめて成立するものでしょうから、これが真実だ! とまで主張するつもりはありません。それは学者の仕事でしょうし。
が、私個人が自分なりに昭和史を眺めてみたところ、そして今時点の感想では、まさにA級戦犯には「天皇制存続のための犠牲(人柱)となった」という面がある・・・という解釈です。もちろん、それだけがすべてとは言いません。彼らには軍部の独走を止められなかったという、責任(統率力や判断力の不足など)があったでしょう、それも真実だと思います。
しかし一方ではやはり、天皇制を守るために当時の臣民として最後の務めを果たしたのだ・・・という見方も、できると思います。少なくとも、そういう見方をする日本人を、私個人は「間違ってます!」と責める気にはなれません。

つまり、私は日本の戦争責任は当時の昭和天皇にもあった、と考える立場なのです。昭和天皇個人のお人柄がどうであれ(天皇個人は早期の終戦を望んでおられたという話も耳にしますが)、当時の法体系からして、国家として大日本帝国が行った戦争に関し、元首であった方が無責任でありうるはずがない、と思うのです。統治者とはそういう存在なのだ、と。
そしてその責任は、象徴天皇制をとり政教分離で政治から離れた程度で許されるようなものではない。退位・・・ことによると幽閉や処刑、も覚悟しなければならないものだったはずだ、と思うのです。
GHQの天皇に対する態度は、当然そうであるべき水準より、軽かった・・・(それは日本側の希望もあったでしょうし、GHQ側の日本統治上の都合もあったでしょう)。いずれにせよ、その差の部分は、A級戦犯が背負ったのだと、私は解釈しているのですよ。

天皇が靖国神社へ行くことの抵抗感が、ガクさん個人でなく世間一般にあるとしたら、それはそういうA級戦犯観の相違なのだと思います。
それはできるだけ穏やかな形で、日本人の中で合意形成されていくべきだと思いますね・・・。
とりあえず自分の話をすると、私個人も、学生の頃までは、A級戦犯にはかなり冷淡な見方をしていました。世間に出て、色々な日本人と知り合い、話し合う中で、そういう見方もあるのだと知り、そして次第にそこに一定の真実味があると認めるに至った、という経緯です。


>ナンバー8さん

難しい問題ですよね・・・(汗
まず、私自身、歴史や法律の専門家ではないことを、お断りしておきます。

現代の日本人によって当時の指導者を裁く・・・。
これの実現が難しいのは、まず第一に、いつの法律を適用するか、ということではないでしょうか。大日本帝国憲法下においてなされた行為を、戦後の日本国憲法下の刑法で裁くのは無理があるように思えます。
これに付随する法律面での困難として、すでに時効であるとか、証拠証人が散逸している・・・なども挙げられるかもしれません。私も法律は疎いものですから、ほかにもっと根本的な理由があるかもしれませんが、今は思いつけません。

ただ、そういう法的な問題を別にしても、日本人の中に、六十年前の指導者を現代において裁きたい、と望む人が、いったいどれだけいるのだろうかと思います。
たとえばナチスに関しては未だに、誰某が逮捕されたとか、裁判が行われた(被告は国外逃亡済)なんてニュースを、耳にすることがあります。つい最近も、あったと思います。
それは、その被害を受けた人々が、何十年経とうとも、いまだに当時受けた被害や苦難を忘れられずにいて、そういう裁判を、たとえ形式的であってもよいから、して欲しい、と強く望んでいるからでしょう。ユダヤ人の団体などもそういう活動をしていたと記憶しています。
翻って日本はどうでしょう? ナンバー8さんの周囲に、六十年前の国内での戦争責任の決着をつけるべきだ、と主張する人はどの程度いますか?
私の見るところでは、日本人の大部分は、そうしたことはもはや望んでいないように思えます。済んだことは蒸し返さない、水に流す・・・という国民性もあるでしょうし、過去をいつまでも思い出し続ける必要もないほど日本は成功し豊かになった、というのもあるでしょう。

日本という国家は、個人の責任を追及して白黒決着をつける、ことより、被爆者への医療保障をしたり、遺族年金を充実させたり、国民一人当たりGDP値を上げる・・・などに力を尽くすことによって、国民の戦争被害への補償を、新しい国家が行う道を選んだと言えるのではないでしょうか?
そして国民側も、不満はあれども大筋ではそういう形での国家補償(実態は国の復興ということですが)を歓迎し、支持した、そういうことではないかと思うのですが。

Posted by 水無月 at 2005年11月01日 23:42
前半部の歴史観に関してはほぼ同じ意見です。もう少しA級戦犯の責任を重くは見てますが。
A級戦犯は天皇制維持のためのスケープゴートと言う側面は確実にあるはずですし。
だからこそ、そうやって守られた天皇と言う存在自身が靖国に参拝されると、首相が行く以上の政治的な意味が発信されると思うんですよね。
つまり、水無月さんがB論に対して言う論理破綻が、天皇陛下の参拝によって(首相の参拝以上に)より強く打ち出されてしまうであろうことに抵抗を感じる訳です。
お墨付が与えられる事そのものが不味いのではなく、その時に引き起こされるより大きな論理破綻を懸念するんですよ。
Posted by ガク at 2005年11月02日 00:39


ガクさん、こんばんは♪

ああ、なるほど。
しかし天皇が靖国へ行くことによって政治的な意味合いが、首相の場合よりも強く発信される・・・とは、私には思えないのですが。
国内的には、十分許されると思いますよ。少なくとも、天皇が参拝することを問題視する人はいないはずです。というのも、もしそれが親天皇的な立場の人(いわゆる右派)であれば、天皇のために犠牲になったA級戦犯を天皇が慰めることを歓迎するでしょうし、天皇に距離を置く立場の人(いわゆる左派?)は、もとより天皇の行為に重みを見出していないでしょうからね。
唯一気になるのは外国からの反応ですけども、首相よりは天皇の方が、政治からは離れているとされる分、面と向かって反応はできないはずだと思うのですが。
そしてもしそれでも近隣諸国が反応するとすれば、それはそうして反応する国家の異常ぶりを、世界へ向けて発信することになるだけではないですかね? 日本政府は天皇の参拝に関してはいっさい関知しておりません、と、静かに答えるだけでよいと思いますよ。
Posted by 水無月 at 2005年11月02日 01:15
ガクさんへ 追伸☆

先ほど↑のようにお答えしたわけですが、もう少し私の立場を説明しておきますね。
私は、先述のように天皇の参拝を許容する立場ですし、むしろ望ましいと思っています。しかし、「靖国問題を解決するために」天皇を利用しようとする立場ではありません。それは恐れ多いことです。↑の議論はすべて、もし、天皇ご自身が参拝を望まれるのなら・・・という前提での話です。

しかしガクさんのように、政治的に利用されてしまうことを懸念する人は(天皇周辺では特に)多いでしょうし、そうした諸々の事情を鑑みて、皇室関係者は考えているのでしょう(もし万が一にも近隣諸国からなんらかの反応があれば、反応があったというそれだけで、大問題には違いありませんから)。それは私にもわかりますし、その判断は尊重するつもりです。

Posted by 水無月 at 2005年11月02日 02:56
「靖国問題・・・A級戦犯の両義性」(「余白から指先へ」2005年10月30日について
http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/archives/2006-01.html#2703531
で、部分的にですが、論評しましたのでご参照ください。
Posted by 建つ三介 at 2006年01月21日 18:29

建つ三介さん、ありがとうございます。
早速お邪魔して、拝見してきました。コメントはそちらにて・・・(笑

Posted by 水無月 at 2006年01月21日 20:08
各論者のコメントは見ないで反応します。

議論がこんがらがるのは、天皇がそのまま、居残っているからでしょう?昭和天皇本人とその取り巻きが利権のため命乞いして中途半端に残ってしまったことが複雑にしている最大の原因。退位して、天皇条項をさっさと削除しておけば話は簡単になったのです。天皇陛下万歳、と言って死んだといいはるひとなら、天皇を排除することに同意するんじゃないの?

それに戦争責任、という概念がまことに曖昧。
東京裁判。これは、革命裁判、です。勝者の裁判、と四の五のいっても無駄です。モンクがあるなら武器を持って連合軍に戦いを挑めばよかったのだ。そういうことは不可能。正義の裁判、という幻想を抱いているから、いつまでも不満がブスブスと渦巻く。東京裁判は、戦争の一部、として行われたのです。論理を求める方がおかしい。理屈などありません。わたしは、東京裁判を含めた敗戦を維新あるいは革命、と考えています。維新後、進駐軍の取った大改革は、ほぼ、北一輝の改造法案、そのものになってしまった(マッカーサーが北一輝に学んだんだろう)。靖国神社、皇居内に移設する、というのはどう?朝晩天皇がおがもうとしったこちゃありません。代々(居残るなら)天皇と親族は、昭和天皇になり替わって、国民にお詫びをしてもいいと思うよ、朝晩。
Posted by yam at 2006年02月10日 11:24
 
yamさん、こんにちは。

敗戦を革命と考えた場合、「それでも天皇制は残った」という事実を無視すべきではないと思います。
そのほかについては、↓の返信をご覧下さいませ。
http://yohaku.seesaa.net/article/7413187.html
Posted by 水無月 at 2006年02月10日 12:27
もちろん。
第2革命が必要な所以です。
Posted by yam at 2006年02月10日 12:29
 
革命・・・ですか。道は遠そうですね(汗
日本国民の多くが革命を望めば、それは起き、成功するでしょう。
Posted by 水無月 at 2006年02月10日 13:03
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