2006年05月06日

B【ネット右翼】(朝日新聞の場合)

ここ数ヶ月にわかに話題に上がることが多くなり、疑問にも感じていた言葉・・・でした、ネット右翼――(笑
ネット右翼がいるならネット左翼もいる? ネット右翼がいるならネット嫌い右翼もいる? ということは、当然ネット嫌い左翼もいる・・・はずで? という具合に頭の中で謎が謎を呼ぶ展開になっていたわけですが、とうとう定義してくれるところが現れましたね。


 議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
 数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。

(【朝日新聞】2006年5月5日社会面 「萎縮の構図」 6炎上)



この定義によれば、「ネット右翼」は、まずネットありき、なのですね。
「議論の場から離れることを一時も許さない」「自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々」がまずおり、彼らのほとんどが「右翼的な考えに基づく意見」なので「ネット右翼」なのだ・・・と。
・・・なるほど??

「右翼的な考えに基づく意見がほとんど」と、判断したのは誰か(「ネット右翼」命名者か、記事の執筆者か)が、気になるところです


ネット上の世界・・・に関して、私はいまだ、狭い範囲しか知らずにいるのだと思いますが、それでも、「あれがいわゆる『炎上』なのか」と思うシーンを垣間見たことはあります。

  ・メール騒動の頃に暢気な記事をUPしていた民主党議員のBLOG(http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/ea6f0e501921fc9ab10da177e77679e0

  ・女人禁制の大峰山にフェミニズムの立場から女性の入山を企画・強行したグループのサイト(消滅)

  ・元オウム真理教信徒であったことを認めた某ブロガー氏と交流があった女性ネットジャーナリストのサイト(消滅)

とりあえず私が今、思い出したのは上の三例・・・でした。
該当記事に取り上げられている小倉弁護士の事例を私がよく知らないのは、その頃にはまだBLOGを開設しておらず、したがってネット上の動きにもまったく無知だったからです(しかし該当記事を見ても、主にネット上の匿名性に関する議論が行われていたようで政治的な思想・信条はあまり関係なさそうですね?)。

さて、私が多少でも見知っている上記三つのBLOGやサイトですが、これらが「炎上」していたことは、ほぼ間違いないと思います。というのは、それぞれが複数のBLOGで「炎上」と名指しされているのを私が自分で確認しているからです。これらが「炎上」だとして、ではこれらサイトを「炎上」させた人々は、「ネット右翼」なのでしょうか?

私が上記のサイトを見ていて感じたのは、政治的(右翼的)な主張などではなく、ただただ圧倒的な数の力、でした。それはたぶん、民意あるいは世論、と完全に一致はしていないけれども、どこか奥の方では地盤を共有する「草の根の声」に近いものではないかと思います。
本来は物言わぬはずだった野の草が(だから以前はせいぜい既存メディアに投稿するくらいしか意見発表の機会も持てなかった人々が)、ネットという「口」を得て一斉に声を出しはじめた・・・そんな印象があります。

一斉にしゃべりだした草の根の声を「右翼的」と感じる人々・・・とは、どういう人々なのでしょう。
私は、むしろそこに関心がありますね。
(よく言われるように、「左翼」や「リベラル」なのでしょうか? 朝日新聞社はおそらく自らを「リベラル」と思っているでしょうが、では、上の例にあげた炎上サイト群のオーナー達は、どう思っているのでしょう? そして実際にコメントをした人達は?)

右翼−左翼(または 保守−リベラル)という物差しのほかに、マジョリティ−マイノリティ、の物差し・・・というか、緊張関係(?)があるのは確かでしょう。自称「リベラル」な人々は「ネット右翼」の増加を憂えているようですが、

 右翼・・・保守・・・マジョリティ VS 左翼・・・リベラル・・・マイノリティ

と、単純に括ってしまうのはどうか・・・と思うのです。
それは部分的には当て嵌まるでしょうが(部分的に見ればなんだって当て嵌まります)、大局を見るとどうなのか・・・と。

どちらにしても、実際にはさまざまな理由で起こっている「炎上」の原因を一律に「ネット右翼」にある、と断ずるのは、あまりに大雑把すぎる見方でしょうね。
実際の世の中同様、ネット上の動きも、(朝日新聞社が把握できているよりも)もっと複雑なのだろうと私は考えています。




◇     ◇     ◇




参考 朝日記事の全文
【萎縮の構図】 6 炎上

 東京弁護士会に所属する小倉秀夫さん(37)のブログに寄せられるコメントの数は多い時でも月に20前後だった。それが昨年2月初め、10倍近くに急増した。
 普段はIT関連の問題について考えを掲載している。
 そこに、他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見を載せた。その直後のことだった。
 コメントの大半は批判だ。差出人の名前の欄は「Unknown」。匿名だった。
 「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」……
 回答しないと「このまま逃げたらあなたの信頼性はゼロになりますよ」。反論すれば、再反論が殺到した。
 議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。
 数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
 小倉さんはたまらず、対談を呼びかけた。
 「カミングアウトしてくださる方を求む」

 このブログを毎夜見つめる男性が東京の下町にいた。自分でもブログを持ち、「炎上観察記・弁護士編」と題するコーナーを設けている。
 30代半ば。かつては小説を出版したこともあるが、いまは無職。両親と同居し、昼夜逆転の生活。「観戦席」は自宅2階、6畳の自室だ。
 チェック開始は午後11時。自らもコメントを送りつつ、批判コメントが殺到し制御不能(ネット用語で「炎上」)に陥っていく様子を伝えた。
 男性のブログは、匿名掲示板や軍事をテーマにしたサイトともつながる。「観察記」を見た人がどんどん、小倉さんのブログに集まってきた。
 「たかだか200や300の批判で黙られても困りますねえ。あれじゃあ、議論にならない」
 男性はそう冷やかす。
 共産主義に傾倒した時期もあったが、「だんだん国を愛する気持ちが強くなった」という。自分のような人間を「ネット右翼」と呼ぶ人がいることも知っている。
 「朝日新聞を筆頭に既存メディアの報道に感じる違和感を消化するため、僕は僕なりの考えで調べ、主張する」

 炎上を眺めていた男性は西日本にもいた。
 30代の大学教員。拉致問題や安全保障をテーマにしたブログを運営しながら、北朝鮮への姿勢が「甘い」と思う評論家やマスコミを批判してきた。匿名掲示板や他人のブログにも投稿した。
 「左翼的な意見に批判的な私たちは、自由に語れる場がなく窮屈な思いをしてきた。ネットの普及がはけ口をくれた」
 ネット右翼を「素朴な愛国心から過激な民族主義に至るまで、雑多な主張の総体」とみる。予備知識がなくてもコメントやリンクをたどることで、容易に論陣を張れるブログの特性が、活動を支えていると分析する。
 「ノリ」で議論に加わる者も増え、論調は過激になりがちだ。ネット上の保守論壇が異質な意見への寛容さを失ってきていると感じ、ブログを1年前に閉じた。

 「対談」は実現しないまま、小倉さんのブログは閉じられた。職業柄、議論することに煩わしさは感じない。それでもつくづく思う。「あれはもはや、議論とは言えない」と。





 

2006年01月11日

A【リベラル】補記 ナイーヴな最強世代

先回、私は【A【リベラル】「自由」からは自由な政治的立場】のエントリを上げたわけですが、実はこの時、同文を某SNSでもUPしていました。そしてコメントを頂き、返事を差し上げるという遣り取りがありました。
頂いたコメントは短いものでしたが、私が普段から漠然と抱く問題意識(?)を刺激するものであり、その返事(頂いた内容からはやや脱線してしまいましたが 汗)を考えることは、私自身にとってこそ有意義だったと思っています。
そこで今回は、そのコメント双方の全文を、先方の了承を得た上で、こちらにも公開することにしました。

コメントを下さったのはネットのみならず書籍・雑誌等でもご活躍中の中宮崇氏です。あちらこちらでのご発言内容を拝見すると、やや(とっても? 汗)過激に属する嫌韓論者でもいらっしゃるようですが、その根底に流れるものは「日本をどうすればいいか」「日本はどうあるべきか」という真摯な問題意識であろうと思います。
私自身は、表現自体も主張の一部、と考える立場ですから、あまりに過激な言い回しには抵抗感を拭い去れないというのが正直なところですが、今回は、氏の問題意識が、見ている方向は多少異なるけれども日本人として同様の問題意識を持つ私の琴線に触れた、ということだと思います。
今回のエントリを記述するに当たっては、お忙しいに違いない中、目を留めてコメントを下さり、また快く転載のご許可を下さった中宮氏に、深く感謝を申し上げる次第です。

中宮崇氏のサイトはこちら → 【週刊言志人


(以下転載)


◇ 2006年01月09日06:06 中宮崇さん

左翼メディアや左翼知識人が嘘や捏造してまで、反権力なるもの、反日的なるものを甘やかしちゃって堕落させたのが大きな原因でしょうね。
朝日が社会党や中国・朝鮮をまっとうに批判していれば、社会党が消滅することも、ここまで嫌韓や反リベラルが広まることも無かったでしょう。
その意味で、わが国から健全なリベラルの芽を摘み去ったのは、似非リベラルの左翼自身だと思います。


◇ 2006年01月09日21:28 水無月
 
中宮さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

>朝日が社会党や中国・朝鮮をまっとうに批判していれば

全く同感ですね。
中宮さんの仰る「甘やかしちゃって堕落させた」というのは
私の実感ともぴったり一致します。

そして思うに、おそらく、長らく日本の良心であり知性であったはずの左派知識人達(彼らが事実上日本のリベラルとニアイコールだったのでしょうけど)は、国内の敵(自民党=親米路線論者達)を倒すことに熱中するあまり、どこかでつい、国外の敵と手を結んでしまったのでしょうね。
内なる戦いで勝利するため、外部勢力に応援を頼む・・・というのは、過去歴史上どこの国でもよく見られた現象です。その結果が最終的に自国へ益をもたらした例など、たぶん皆無でしょうけど、国内の敵への憎悪に目がくらんでしまうと、そういうこともわからなくなってしまうのでしょう。

そしてそこまで左派が「歪んだ」原因を考えてゆくと、私はやはり、安保闘争のあたりに行き着きます。米国との安保条約締結は結果として日本に多大な利益をもたらしたし、当時の為政者(自民党)の判断が誤っていたと責める人は今ではもういません。
けれども、内心では納得できていない安保世代というのは、実は多いんじゃないでしょうか・・・。彼らは学生運動という形での政治闘争の敗北・挫折を、言論や知性の分野でカバーしようとした。カバーしたかった、カバーされてしかるべき、と考えた、というか。
そういう彼らにとっては、なによりもまず、彼ら自身のために、自民党は常に「悪」でなければならなかったのではないか。彼らの傷ついた魂は手当てもされずに放置されているどころか、皮肉にも日本の繁栄こそが、その傷をさらに日々、刺激するのです。そういうナイーヴな人々が、日本の良心であったはずのリベラル系大新聞の朝日に、大勢身を寄せていたのではないでしょうか・・・。
そんなようなことを、私は考えています。とはいえ、私自身は安保世代から10年以上も遅れてしまったので、本当のリアルな世代空気というのは、わからないのですけどね(汗

けれどももしそういう見方が一部でも成立するのであれば、国を二分し死者まで出してしまった安保闘争というものを、日本はまだ上手に克服できていなかったのだ、ということになります。
フォーク・ソングのような叙情的なもので慰められるほど、それは浅い傷ではなかったのだ、と。そのことも、日本はきちんと正視すべきだと思いますね。

コメントに感謝します。
今後とも、よろしくお願いします。


(ここまで)


私の意見は上に引用した通りですが、私は常々、1960年頃の安保闘争とその後ほぼ十年間吹き荒れ、結果的には過激派とも接点を持つに至った学生運動、という現代史を、日本はもう少し正面から見つめ、真面目に整理すべきだと思っています。なにしろ彼らはいまだ現役であり、日本を担い、日本を動かしているのですから。

浅間山荘事件(1972年2月)が起きた時、私はまもなく義務教育に上がるという幼稚園児でした。そして、普段は口やかましく「テレビをつけっぱなしにしない!」と叱る大人達が、日がな一日、白黒の画面に見入っていたことを覚えています。幼児にとってさえ、これは只事ではない、と恐怖さえ伴う鮮烈な印象を残した同事件(や、その前に起きていた一連の大事件群)が、当時多感な若者だった世代になんの影響も与えていないはずはないのです。

彼らはまた、団塊の世代でもあります。出生率が年々下がる中、蝶よ花よと大事に育てられた平成生まれの若者らとは、言ってみれば対極の環境で育ったわけです。そしてなにしろ数が多い(笑)。世代ということで単純に考えれば、最強パワーでしょう。そろそろ定年に差し掛かる年代でもありますが、さまざまな分野で今後重鎮となり、日本の意思決定に重要な役割を担うことになるはずです。

日本という国の現状、なぜ今こうなっているのか、さらには今後どうあるべきか、を理解しようとする時、彼らはひとつの鍵となってるのではないでしょうか(もちろん、安保世代といっても、単純に年代で分けてしまえば多様な人々がそこに属するわけで、ひとくくりに論じられるようなものではないことも当然ですが)。
彼らの思想、感性、そして生身の皮膚感覚・・・といったものを、私のような他世代は謙虚に理解(し、時に共感し、時に批判)する、ということが、求められているのだと思います。


※関連エントリ

A【リベラル】「自由」からは自由な政治的立場
@【新自由主義】ネオリベラリズム



     ◇     ◇     ◇


<資料> 出典はいずれも、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【安保闘争】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89

安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年から1960年の日本で展開された日米間の安全保障条約(安保条約)に反対する大衆運動のこと。

安保条約
1951年9月8日、米国のサン・フランシスコ市で米国をはじめとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたときに、主席全権委員であった吉田茂内閣総理大臣が単独で日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安全保障条約)に署名した。この条約によって日本占領のアメリカ軍は、在日米軍となって現在に至っている。

60年安保
1951年に締結された安保条約は、1958年頃から岸信介内閣によって改定の交渉が行われ、1960年1月に条約が調印された。この間、改定により日本が戦争に巻き込まれる危険が増す、などの理由で反対運動が高まっていった。特に5月20日に衆議院で強行採決されると、民主主義の破壊であるとして一般市民の間にも反対の機運が高まり国会の周囲をデモ隊が取り囲んだ。条約は参議院の議決がないまま6月19日に自然成立したが、予定されていたアイゼンハワー大統領の来日も中止となり、混乱を収拾するため、7月、岸内閣は総辞職した。

60年安保闘争の経緯
1959年3月 安保条約改定阻止国民会議を結成。日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、原水爆禁止国民会議(原水禁)など
社会党の西尾末広は改定阻止国民会議に反対を表明(10月に離党)
同11月 デモ隊が国会構内に乱入
1960年1月19日 日米政府間で条約調印
同1月24日 西尾末広らが民主社会党結成
同4月 全学連が警官隊と衝突
同5月20日 衆議院議院で強行採決
これ以降、連日デモ隊が国会を囲む
同6月11日 ハガチー事件(大統領秘書が来日するが、羽田でデモ隊に包囲されヘリコプターで脱出)
同6月15日 全学連と警察隊の衝突で、大学生樺美智子死去
同6月19日 条約が自然成立(23日に発効)

60年安保闘争の評価

70年安保
自動継続となったこともあり、一般的な運動としてはあまり盛り上がらなかった。ただし、学生の間では1970年を前にして1968-69年に学生運動が盛んになり、東大闘争、日大闘争などが行われた。


【学生運動】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95

学生運動(がくせいうんどう)とは、学生によって組織され展開される、政治的・社会的・啓蒙的な性質をもつ運動である。学生闘争(がくせいとうそう)・学生紛争(がくせいふんそう)ともいう。また、主に大学などが拠点とされたことから、大学闘争(だいがくとうそう)・大学紛争(だいがくふんそう)、学園闘争(がくえんとうそう)・学園紛争(がくえんふんそう)などともいう。

運動主体の学生たちや運動賛成者は「闘争」という言葉を、傍観的立場の人々は単に「学生運動」、運動反対者や保守的な思想の人たちは「紛争」という言葉を用いる傾向がある。


【連合赤軍】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D

連合赤軍(れんごうせきぐん)は、1971年から1972年にかけて活動した日本の新左翼武装テロ組織。

連合赤軍事件として、榛名山で山岳ベース事件を起こし、逮捕を逃れた者らがあさま山荘事件を起こした。

結成時のメンバー29名の内、12人が殺害され、釈放された坂東国男を除く16人は判決が確定した。

連合赤軍の発足
1971年、学生運動が下火になり、大菩薩事件やよど号ハイジャック事件などで幹部の逮捕などで弱体化していた共産主義者同盟赤軍派の軍事組織である中央軍の残党と、やや旧左翼的体質を持つ日本共産党革命左派神奈川県委員会の軍事組織である人民革命軍が統合し、統一された「赤軍」(統一赤軍)として、日本共産党創立日と同じ7月15日付で生まれた。

赤軍派幹部の一人である森恒夫は当初から党の統一を志向していたが、獄中の日本共産党革命左派神奈川県委員会議長である川島豪らの強い反対で連合赤軍に改称された。

1971年12月20日ごろに新党結成が確認され、翌1972年1月3日、独自の中央委員会(CCと略される。委員長 森恒夫、副委員長 永田洋子、書記長 坂口弘)が結成された。



【あさま山荘事件】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%96%93%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

あさま山荘事件または浅間山荘事件(あさまさんそうじけん)とは、1972年2月19日に始まる、軽井沢にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が、管理人を人質に10日間に亘ってたてこもった事件である。

人質は浅間山荘の管理人の妻。連合赤軍のメンバーは5人。2月28日に、警察が浅間山荘に強行突入した。この強行突入で警察官2人が殉職した。突入の様子は、テレビで生中継され、その日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、人質救出の瞬間は民放,NHKを合わせて90%弱を記録した。

2006年01月08日

A【リベラル】「自由」からは自由な政治的立場

 
【新自由主義】・・・に関する私自身の過去の文章を読んでいました。
http://yohaku.seesaa.net/article/7385013.html
その末尾の「次は【リベラル】を」という言葉を私自身も
忘れたわけではありませんし、これをまとめることの必要性は
日々強く感じています。

でも難しい(笑
そもそも、リベラル=自由主義、が、ネオ・リベラリズム=新自由主義
の敵でありうるとはどうした事態なのでしょう・・・。
新自由主義といえば現在米国大統領のブッシュ氏ですけど
彼の敵はリベラル≒民主党です。


【 米国の場合 】

ただ米国に目を転じてみても、共和党と民主党の対立軸は
保守VSリベラル の思想的対立だけとは言えない。
米国の場合は宗教的な許容度、伝統的価値観への傾斜度、が
両党を分けているようです。
ごく簡単に(乱暴に)まとめてしまいますが

共和党≒保守
     キリスト教的(中絶反対、ID教育=神による創造説)
     伝統的価値観(銃規制反対など)
    ≒右派
     世界の警察官、自由主義陣営の雄
    ≒(よく言及されるのがFOXテレビ)

民主党≒リベラル
     宗教には一定の距離感(中絶許容、ID教育反対)
     進歩的価値観(フェミニズム寄り、同性婚許容など)
    ≒左派
     反戦平和主義(ベトナム戦争反対、イラク戦争反対)
    ≒ニューヨークタイムズ紙

こんな感じではないかと私は見ています。
(あくまで私の知識レベルが基になっているので適当ですが 汗)
この中で「自由」に焦点を当てると、フェミニズムや宗教的自由
への態度の違いが浮かび上がってきます。が、しかし
共和党だって自由を世界に輸出するためわざわざ
国外に出かけていって戦争までしてくれているわけで
彼らに言わせれば足を引っ張る民主≒リベラルこそが、自由の敵
となるわけです。
おまけに共和党は「小さな政府」の推進者。
「小さな政府」の発想の土台に自由主義(リベラリズム)が
あるのは前回(【新自由主義】に関して)述べた通りですから
ますますややこしい(笑
しかしややこしくてもさすがは二大政党制の国、一応分けることが
できるのですから大したものです。

では目を自国に移してみるとどうなるでしょうか。


【 日本のリベラル 】

現在リベラルを標榜しているところと考え、私が真っ先に
思い浮かべたのが朝日新聞でした。
となると、朝日が攻撃しているのが保守で、擁護しているのが
リベラル?? そんなのってあり?(苦笑

というわけで、ここでいつも詰まってしまうのですが
今日は私的独断に基づいてエイヤっと分類してしまいます。
ご意見のある方はどうぞコメントお願いします。

<2005年秋まで>
保守≒自民党
   対米追随路線(日米安保堅持)

リベラル≒反自民陣営=野党すべて(代表は社共)
   そこはかとない反米主義、国連重視、護憲

<2005年秋以降>
新保守≒自民党森派(小泉氏周辺)
     対中強硬路線
     新自由主義・小さな政府、脱官僚主義
     改憲
    ≒松下政経塾出身者の一部(前原民主党党首のあたり)
    ≒産経新聞系?

保守≒代表は自民党橋本派(旧田中派)、公明党
     対中融和路線
     小さな政府にはやや距離を置く、官僚政治に理解有り
     改憲にやや距離を置く
    ≒民主党の一部(自民離脱系)もここ
    ≒日経、読売のあたり?

リベラル≒民主党の一部(旧社会党、旧民社系)、現社民党
      対中協調路線、反米・反核・平和主義、護憲、反自民
    ≒朝日新聞のあたり? 共産党の一部も

異論もあろうかと思いますが、私の目には、ここ数年で
日本の政治はガラリと変わったように映るのですね。
とりあえず小泉二期目が始まった2005年秋の総選挙で分けて
みましたが、その胎動はむろん、もっと以前からあったわけです。
そしてこの流れを見極めるのに、それそういうの時間を要した
・・・というのは言い訳に過ぎませんけども(笑

そしてこれを見ると、リベラルの原義である「自由」に関する
対立点など、なにもない、ということがわかると思います。
唯一あるとすれば、在日外国人への参政権拡大の問題くらい
でしょうか(リベラルは賛成、保守は反対のはずです)。
しかしこれとて、その根っこは在日政策にあるわけで
純粋な思想的立場の対立というより(もちろん、思想的な信条から
参政権拡大に賛成するリベラリストもいるでしょうけれども)
対アジア政策とかいわゆる在日問題の方に、焦点があるように
思えます。
私が「リベラル」というレッテルに虚しさを感じるのは、こうした
現状を考える時・・・です。


【 リベラルは絶滅するのか 】

米国の保守VSリベラルの対立が、実はその根を宗教的価値観に
持つように、日本の保守VSリベラルの対立は、歴史認識にこそ
その根を持っているように、私は最近思えてきました。

現代日本人は、とりわけ最近では、まずその歴史観によって
政治的な立ち位置を明らかにするよう、求められるようになって
きているのではないでしょうか。
米国への態度や憲法、自衛隊に対してどのようなスタンスを
取るか・・・は、そのあとで自動的に決定されると言っても
過言ではないように思います。
けれどもこうした事態が起こるようになったのは、つい最近の
ことでしょう。私の主観的な認識では、かつて(といっても
1990年頃まで)は、日米安保が今の歴史認識と似た意味を持つ
分水嶺でした。これに対する視線・・の温度差で自分が保守か
リベラルかを知る・・・という具合に。
日米安保が歴史認識へと変わった理由は定かではありませんが
その間に起きたことは、第一次・第二次イラク戦争、北朝鮮拉致問題
中国の反日デモ、新しい歴史教科書論争・・・などでしたね。
ほかにも日韓共催ワールドカップや韓流、そして『嫌韓流』
騒動などもありました。
こうした事件が複合的に作用し、日本の雰囲気を変えたのでは
ないかと思っていますが。

それはともかく、過去・・・「リベラル」はプラスのイメージを
持つ言葉でした。
それが今では、非難や中傷の的になろうとしています。
なぜでしょう?
私は、ここに、これまで戦後六十年間日本のリベラルを率先して
導いてきた「知識人」「言論人」達の罪を思わずにはいられません。
彼らはどこかで道を誤ったのではないでしょうか?
その歴史観にこだわるあまり、「リベラル」を単なる歴史観の
枠内に矮小化し、貶めてしまう・・・という愚を。


米国で開発された政治思想的立場を区分けするクイズを
日本で行うと、自称右派の方をも含めた多くの人が
「リベラル」に分類されるという興味深い現象もあるようです。
(【Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜】「リベラルとサヨク」
 http://meinesache.seesaa.net/article/7352700.html
私にはこれ・・・大変面白かったです(笑

この現象から読み解けることとは、要するに
日本には現在、(本来の意味での)政治思想的対立などない
ということではないかと思うのですが、読者の皆様はどう
思われますか?

政治思想的対立点がない・・・にもかかわらず対立が先鋭化している
政治問題は数多くあります。
大きくは改憲問題ですが、細かに見ていけば靖国問題、参政権問題
自衛隊問題、イラク派兵の是非、在日米軍問題、天皇を巡る問題等々。
問題点を掘り下げてゆけば日本はどうあるべきか、という国家観の
問題へと行き着くはずです。
しかしまた同時に、そのどれひとつとして
歴史観(それも限定されたある一時期の)抜きには語れない
(立ち位置がそこにあるのなら)、というのも不思議な話です。

リベラル・・・という語を巡って考えると、私はどうしても最後に
この不思議さに出会うのです。


【 歴史観論争を超えて 】

朝日新聞に代表されるような自称リベラル派知識人達の誤り、が
もしあるとすれば、それは自民党批判に傾きすぎた・・・という点で
あると思います。
実際には、自民党の中にも新保守から保守まで、さまざまな考えの
人々がいました。日中国交正常化を成し遂げたのは自民党政権で
ある点を見ても、対中政策ひとつとっても党内にかなりの温度差の
あることがわかります。
けれどもリベラル派知識人の皆さんは、自民党内の差に目を向け
きめ細かに対応する・・・という努力を怠ってきたように思います。
その結果、誰が首相になっても同じような批判をする、この「批判」
ということが彼ら自身の存在意義にまでなってしまった・・・のでは
ないでしょうか。
これは大変危険なことです。なぜなら、批判勢力とは、本質的に
その批判の対象なくしては成り立たない、からです。

リベラルはいつのまにか、自民党から相対的に導き出されるだけの
存在に成り下がってしまった・・・ように思えます。
(そしてこのように批判勢力=リベラルが、自らの実体を相対化
 させてしまったことが、自民党の超長期政権を支えてきました)


歴史認識の一点にリベラル派知識人がこだわっている間に
普通の日本人の多くは、先のクイズの例にあるように、リベラル的
思考を十分身につけてしまいました。
そして、(私は今後、日本の政治は「新保守」と「保守」との
綱引きの中で展開されることになると思っていますが)
自民党政権を担う「新保守」の政治家も「保守」の政治家も
実は政治思想的には十分にリベラルな発想をする有権者から
選ばれた、立派にリベラルな人々である、という点が
重要なのではないかと思っています。
(例を挙げれば、自民党に任せても、王政復古や貴族政治には
 ならないだろう、と普通の日本人は思っている、ということ)


リベラル・・・が蘇るための道があるとすれば、おそらくそれは
歴史認識との訣別を果たすこと・・・でしょう。
外交論、政策論などを歴史認識と切り離して論じられる基盤を
持つこと。
そして自民党をあまり意識しすぎないこと・・・。
反自民の旗を振っている人は自民の応援をしているのと同じこと
と言っては語弊がありますが、自民党がどうであろうと関係なく
自らの政策を考え、語れるのが本来であることを思い出すべきです。
自分で考えた結果が自民(のどこか)と同じならば賛成すれば
よいし、そうでないなら反対する・・・というのが本来でしょう。

自民党のやることは全て反対! という人は「反自民」な
だけであって、決して「リベラル」ではありません。

そういう、自称リベラルで実はリベラルを貶めているだけの
人々とどのように距離を取り、差異化できるか・・・が鍵のひとつ
かもしれませんね。


もうひとつの鍵は、経済論のように思います。
小さな政府とどう向き合うか・・・。
現状では新保守(新自由主義)VS保守(抵抗勢力?)のように
レッテル張りされてしまっているようですが、歴史認識から
比較的自由なこの分野でこそ、本来は政策論議も活発に行われて
よい・・・はず。
上でまとめた【日本のリベラル】の中の「リベラル」陣営が
軒並み、この部分の論議を与党任せにしているように見えるのは
私の気のせい・・・でしょうか。


護憲・靖国も重要ですが、こうした問題でも存在感を示せること
が、リベラル陣営には求められているように思います。



【 おまけの資料 】

本エントリを書く中で知ったページ。自分へのメモのために残しておきます。
【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%B4%BE%E9%96%A5

自由民主党における派閥興亡史
自由民主党そのものが保守合同に伴う旧自由党と旧民主党が合併して出来た政党であり、その構成メンバー間の経歴・信条・政策などは決して一致していなかった。そのため、経歴・信条・政策などの近い議員達が党内の有力議員の下に集まって形成されたのが自由民主党の派閥のルーツである。

1956年12月の総裁選挙をきっかけに8つの派閥が形成された。×印は断絶を表す。

旧自由党派
吉田学校→宏池会池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮沢喜一→加藤紘一(大勇会河野洋平派→)→小里貞利(宏池会堀内光雄派→)→谷垣禎一派、
吉田学校→周山会佐藤栄作→木曜クラブ田中角栄(周山クラブ保利茂→×)→経世会竹下登(木曜クラブ二階堂進→×)→平成研究会小渕恵三(改革フォーラム21羽田孜派→×)→橋本龍太郎→津島雄二派
吉田学校→水曜会緒方竹虎→石井光次郎派→×
鳩山一郎→白政会大野伴睦→村上勇(船田中派→×)→水田三喜男派→×(自由革新同友会中川一郎→石原慎太郎派→×)
旧民主党派
鳩山一郎→八日会岸信介→清和会福田赳夫(愛正会藤山愛一郎派→×、川島正次郎→椎名悦三郎派→×)→安倍晋太郎→三塚博(政真会加藤六月系→×)→森喜朗派
鳩山一郎→春秋会河野一郎→政策科学研究所中曽根康弘(森清→園田直系→×)→渡邉美智雄→志帥会村上正邦(近未来政治研究会山崎拓派→)→江藤隆美→亀井静香→伊吹文明派、
鳩山一郎→火曜会石橋湛山→×
政策懇談会三木武夫(松村謙三系→×、早川崇系→×)→新政策研究会河本敏夫(海部俊樹→新しい波二階俊博系→)→番町政策研究所高村正彦派
この外にも芦田均のグループなど、少数グループがいくつか存在した。

1970年代には田中派と福田派による角福戦争が繰り広げられ、田中派が勢力を持つこととなった。その政治手法が”金権政治”的であった為、これを打破しようという目的で若手議員が中心となって青嵐会が結成された。


2005年09月27日

@【新自由主義】ネオリベラリズム

市場原理を重視し、政府の介入をできるだけ小さくしよう
・・・という思想。
キーワードは小さな政府。規制緩和。民営化。自己責任・・・(笑

歴史的背景。まず【自由主義】(リベラリズム)というものがある。
自由主義を遡っていくと、17世紀英国に辿り着く。ジョン・ロック。
ロックは国王の王権に対立するものとして市民・人民の概念を
生み出し、なんぴとも(つまり政府も)市民の自由を奪うことは
できない・・・とした。
英国の市民革命、フランスのフランス革命、アメリカの独立
・・・これらはみなその思想的バックボーンをロックに由来する。
【民主主義】(デモクラシー)・・・が自由主義と相性がいいのは
(=混同されやすいのは)歴史上実際上、民主主義が地上で
はじめて実現したのはこの三大革命を経て・・・であるから。

ロックの次に現れたのがアダム・スミス。やはり英国人。
スミスはロックの思想を押し進め、経済活動は自由競争と
市場原理によって行われるのが良い、とした。神の見えざる手。
経済の一形態である【資本主義】(キャピタリズム)が、この
自由競争と市場原理・・・を、前提のひとつとしているのは
自明の理。したがって自由主義は資本主義とも仲が良い。

こうした自由主義(=新自由主義との区別から古典的自由主義
とも呼ばれる)・・・の理念に沿って生まれた近代欧米諸国
だが、やがて20世紀・・・修正の時を迎える。
これは福祉国家・・・とか、大きな国家・・・とか呼ばれるもの。
具体的には、古典的自由主義の台頭によって資本家と労働者間の
貧富の差が大きくなりすぎ、一方では労働者階級による
社会主義革命が次々と起こる・・・という世界情勢でもあったため
自由主義が社会主義に譲歩した結果・・・と言えるだろう。

福祉国家においては、名目上の(均一な)自由でなく
実質的・積極的な自由を目指す。つまり、身長の高い人には
大きなベッド、低い人には小さなベッド・・・こそ真の平等であり
実質的・積極的自由を保障するものだ、という考え方。
したがって高額所得者には高い税金、低所得者層には高福祉・・・
となる。累進課税。・・・目的は富の不平等の是正。
また政府は市場経済を維持・活性化させるために適度な介入を
するのがよいとされる。・・・ニューディール政策。
このルーズベルト(民主党)大統領の政策によって、米国は
世界恐慌を巻き返した・・・とされ、以降一定の評価を得る。

そして1980年代・・・。福祉国家への反発・・・のように
新自由主義が誕生する。
英国サッチャー首相、米国レーガン(共和党)大統領がその
先駆け。日本では中曽根康弘首相によって、NTT・JRなどが
分割民営化された。1990年代に入ると、日本では小沢一郎氏が
著書「日本改造計画」で新自由主義の思想を集約し
小選挙区制の導入、市町村合併と300市への収斂
(=小さな政府)などを主張、順次実現化された。

こうして見ると

自由主義 → 福祉国家(大きな政府=修正自由主義)
 → 新自由主義(小さな政府)

という流れであることがわかる。
新自由主義は17世紀の古典的自由主義への回帰運動とみなすべきだ。
そしてその背景には、自由主義そのものの外敵として存在した
社会主義の栄枯盛衰がある・・・ことは明らかであろう。
鉄の女サッチャー氏が辣腕を振るった時代はまさに、ソ連が
解体しつつある時代でもあった。

新自由主義・・・の弊害としては、水道・郵便など公共事業を
民営化した結果、機能を果たせずに失敗したという事例がある
(ニュージーランドなど)。
が、民営化・・・自体の賛否よりむしろ、より根本的な問題は
そもそも福祉国家像が生まれた背景・・・富の偏在・・・こそが
究極の弊害と言えるだろう。
自由主義・・・つまり市場の自由にまかせておけば、富は必ず
偏在する。富める者はより富み、貧しき者はより貧しくなる・・・。

ではなぜ、そのような新自由主義が台頭するのか・・・。
新自由主義の登場する必然性・・・が、もしあるとすれば?
私は陰謀説を取らない。一部の政治勢力(ユダヤなど)が
より富みたいという目的で世界政治を勝手気ままに動かしている
・・・という世界観はナンセンスだと感じている。
新自由主義が台頭する背景にユダヤ資本やネオコンがあると
しても、ユダヤ資本が活力を得るに至った理由・・・が
近代史の中にあるというのが私の発想法なのだ。
では、その理由・・・とは?

それは国家間の競争・・・に、ほかならないのではないか・・・
というのが、現状での私の認識だ。
新自由主義が生まれる以前、世界は東西陣営に分かれた冷戦構造
にあった。この冷戦自体が、いわば世界への規制だったのだ。
ある西側国家が赤貧に陥れば、それを東側へ組み込もうと、東側
陣営が触手を伸ばす・・・(=社会主義革命を起こそうとする)。
これを阻止するため、西側陣営は赤貧の仲間国家に援助をせざる
をえなくなる・・・。東西が逆でも同じ。
つまり、世界が東西に分かれていた・・・ことこそ、世界の国家間に
横たわる富の偏在を是正する役割を果たしていた・・・のだ。
しかしソ連が解体し、今や「世界政治そのものが規制緩和した」
状態にある。
世界地図上の陣取り合戦が一服し、貧しい国家に援助する旨みは
もはやいかなる超大国にも、ない。
結果、貧しき国はより貧しく、富める国はより富んでゆく。

そうした世界規模での新自由主義・・・は、また、熾烈極まりない
国家間の競争をも、呼び起こす。
どの国家も、否応なく、自衛のためにこの競争へ参加せざるを
えない。国を挙げての競争力強化が図られる。
そうした中で、国内では、新自由主義が採用されるのではないか。
国民全体に目配りする福祉国家では、荒々しく自由主義化した
世界という市場では生き残れない・・・。そうした危機感が
米国を、英国を、日本を、新自由主義に駆り立てているのでは?
・・・私にはそう見える。

つまり、国内での新自由主義の採用は、国際的な新自由主義
の台頭から要請されたのだ・・・と。


このテーマは必然的に次のテーマへ繋がっている。
【リベラル】・・・(笑
その意味内容が混乱しきっている「リベラル」を、次回には
整理整頓できたらいいと思う・・・。
でもいつになるかは未定(汗
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