2006年09月24日

君が代・日の丸問題についての感想

 
【<国旗国歌>都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決】

 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を
強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害する
として、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を
相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた
訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は
「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がない
ことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを
命じる判決を言い渡した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060921k0000e040101000c.html

この問題では以前からスッキリしないことが・・・。

強制は違憲、これはその通りだろうと思います。
教育という場で、思想・信条の自由を侵すような強制は
許されないだろうと思います。
少数者の意見だからこそ、公権力で握りつぶすようなことは
あってはなりません。もちろんです。

ただ、国旗や国歌に敬意を持たぬ者が、公教育の場の
それも教師という立場に相応しいかどうか・・・という問題は
相変わらず残っているだろうと思うのです。

おそらく「彼ら」の立場は・・・こう。
「国歌や国旗、すなわち日本国への敬意は持っているが
 それが日の丸や君が代であることが問題なのだ」
国歌・国旗改変期待論はここに存在するはずです。

なぜ、君が代や日の丸は国歌や国旗に相応しくないか。
判決文から引用・・・。

第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として
用いられ、現在も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的な
ものと認められるまでには至っていない
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060922k0000m040087000c.html

結局、ここ・・・。
「皇国思想や軍国主義の精神的支柱」として用いられた戦前
までの「歴史」
「宗教的、政治的に価値中立的なものと認められ」ていない
「現状」

天皇(象徴天皇制)でしょう。やはり・・・。
いつもいつも、問題はここへ立ち返る。
天皇家や象徴天皇制が「宗教的、政治的に価値中立的なもの
と認められ」ているか、どうか・・・が、まさに現代の日本国が
抱える精神的・文化的・政治的な最大問題なのでしょうね。
つまり、「宗教的、政治的に価値中立的なもの」と看做す国民と
そうは看做さない国民とが(数において)、ほぼ拮抗している
のが現状だろう、と私は見ているのです。


それがコンテンポラリーな問題であるがゆえに、裁判官でさえ
実は判決を下し得ない問題なのだと思います。
なぜなら裁判官が根拠とする法律自体、時代の力によって
いかようにでも変化し得るから。
これを変化させるのは狭義には政治(家)ですが、政治(家)も
また融通無碍に態度を変化させる実態を見やれば、最終的には
通常は「世論」などと平べったく呼ばれる「時代の風」が
最終決着をつけるはずです。
そしてこの種の問題は、この方法によってしか解決され得ない
でしょうし、解決されるべきでもない、と私は思います。

これは靖国も同様・・・。要するに象徴天皇制自体も。


国の形そのもの・・・が問われている、それが現代なのでしょう。

頬に当たる時代の風・・・を、感じます。

 

posted by 水無月 at 00:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 国内(靖国・天皇) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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