2005年12月12日

黒塗り教科書と平和憲法

※以下は改憲に関しての覚書です。2005年12月10日の日記より抜粋。


本日風呂場で不意に思ったこと。
終戦直後の黒塗り教科書の衝撃を、今の戦後世代(代表は私)は
受けてるのかもしれないなぁ・・・と。
他世代のことは知りませんがね。
あれが侵略戦争でなく自衛戦争だったと考えるのは難しい。
結局定義の問題じゃなかろうか・・・と思ってみる。

「過ちは繰り返しませぬから」(広島原爆慰霊碑)
この「過ち」とはなんぞや?
戦争をしたこと、か、戦争で負けたこと、か。
私には正直言ってわからない。ごめんなさい。
私は戦後生まれであって、戦争を体験したわけじゃないのだ。

認識など脆いもの。
それが歴史だ。と思う。


     ◇     ◇     ◇


戦争をできる国にしようとしている・・・という改憲反対派の
スローガンはなんか変じゃない?
「戦争をできる国」の反対は「戦争をできない国」だ。
戦争をできない国のままでいたいということか。戦争を
できる国
できない国
できるけどしない国
できないからしない国
正解はどれ? 今までの日本はどれだったでしょう?
そして今後どれを目指すべきでしょうか? 四択です。

できないけどした国
できるからする国
もあるかもね。戦前日本と現在米国。

確かなのは
改憲反対派は国民を信じていないということ。
国民を信じないと言う代わりに
政府を信じないと言っているに過ぎない。
(では私は日本国民を信じているだろうか)


     ◇     ◇     ◇


もうひとつ思ったのは
平和憲法は理屈じゃないんだよね。
たぶんそれは、戦争をできない国に必要だった自意識だ。
戦争はできないけれど平和憲法がある、という誇り。
もしくは慰め? 民族の・・・。
護憲家の中では平和憲法と愛国心はなんら矛盾せず
時に同一のものだったりする。
天皇陛下が平和憲法に取って代わられただけなのじゃあるまいか。
だからその権威の崩壊に直面する衝撃は
黒塗り教科書に匹敵する・・・と思ったわけ。

戦後的価値観(リベラリズム?)に染まりきった人間が
平和憲法の国際政治上での限界を認識することは
教育勅語的価値観の中で育った日本人が
天皇の人間宣言を聞かされた時に(おそらく)感じたであろう
と同質の、衝撃と抵抗感に曝されることなのかもしれない。

もちろん、いつの時代にも、易々と時流に乗り
価値観の転換を果たせる人もいるし、それが苦手な人もいる。
時流など関係ないよ、という人も。


天皇や天皇制を守るため、GHQにゲリラ戦など挑まなかった
日本人だから(一億玉砕はどうなった)
平和憲法を守るための草の根ゲリラ戦も勝敗は見えている。
それが日本人だ。
posted by 水無月 at 18:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 国内(憲法・改憲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月25日

無防備地域宣言

または、無防備都市宣言・・・。

護憲運動のひとつの具体的な形・・・と捉えました。
すでに四年ほど前になりますが、とある場所(非・2ch)で
新しい歴史教科書を巡る掲示板論争に半ROM半参加していた
時期があり、その時反対派(つまり左派)の方の書き込みに
「武力放棄の結果、外国から攻められたらどうするか
 戦争するより無条件降伏した方がマシ」
というのがありました。
結局、この書き込みを最後に、私の目からは有意義と思えた
論争も終結してしまったわけですが
右派の方・・・から言わせれば、そういう発想をする人とは
もはや会話不能、ということだと思います。

左派(リベラル) VS 右派(保守) の構図とは
結局のところ、国家と個人と、どちらに軸足を置くか
ということなのでしょう。
個人の平和な生活なしに国家の存在は語れない
(国家は個人を守るためにこそ存在する)・・・と見る
左派は、だから、戦争放棄を謳う九条をなくすなら
「この国はもう終わり」だから「海外移住したい」などと
平気で言ってしまう(コメント欄などで)。
平和な国家があってこそ個人の生活も守られる・・・とする
右派は、国の安全を図るためになにができるか、すべきか、の
観点から語ろうとする・・・。

そうした立ち位置の違い、発想の違い・・・自体は
私は意義あることと思っています。
世の中が同じ意見で染まってしまうことは恐ろしい・・・と
思うので。しかし少なくとも民主主義体制下においては
国家は個人の(投票活動などによる)意思の集合体なのであり
したがって個人自体も国を構成する細胞ひとつひとつなのだ
ということを忘れたかのような議論は
どの立場からのものにせよ、グロテスクで無効なものと
私は判断せざるを得ません。

喩え言葉の綾・レトリックであったとしても
海外移住を口にした時点で、その人は国政に関して語る
資格を失ったも同然だと思います。
同様に、無条件降伏を発想した時点で、その運動も
国政に関しての影響力を自ら放棄した・・・と同じこと
なのでしょう。

国政に関しての・・・つまり改憲に関しての。

無防備都市宣言は戦争状態での国際間紳士協定である
ジュネーブ条約をその大きな思想的支柱に据えている
わけですが、ということは
戦争状態になる以前の出来事には一切関与しない
という意思表示と受け取られても文句は言えない

でしょうからね・・・。


改憲への抵抗・・・草の根の。
左派的発想の具体例が、この無防備都市宣言運動では
ないかと思うわけですが、実効性、理論、ともに
あまり評価できるとは思いません。
・・・別の取り組みを期待したい・・・ところです。


     ◇     ◇     ◇


資料【「無防備地域」宣言 国防協力を拒否? 21自治体、条例化へ署名運動】Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051121-00000001-san-pol

 ジュネーブ条約で有事の際に攻撃が禁じられている「無防備地域」の宣言をするよう地方自治体に求める運動が全国に広がりをみせている。これまでに宣言条例が成立した例はないが、確認されただけで二十一区市町で署名活動などが進められている。国の責任で行う防衛行動を自治体が制約することには疑問があるほか、国民や自治体に協力を定めた国民保護法、武力事態対処法に正面から反する問題点も指摘されている。 
 運動が展開されているのは、札幌市、苫小牧市、東京都国立市、神奈川県藤沢市など二十一区市町(判明分)。「宣言すれば平和を確保できる」「武力攻撃を免れることが可能」などの合言葉で戦争不参加や反戦を呼びかけ、自治体に「無防備地域」宣言の条例制定を請求するため署名運動などが進められている。
 すでに全国規模の連絡組織もできており、署名が法定数に達した大阪市、大阪府枚方(ひらかた)市、兵庫県西宮市などでは市議会に条例が提出されている。
 ジュネーブ条約追加第一議定書は「紛争当事国が無防備地域を攻撃することは手段のいかんを問わず禁止する」と規定。敵国の占領や攻撃に対し、抵抗も武装もしない地域を無防備地域とし、敵の無血占領を認め、無条件降伏を宣言することで、消耗戦や敵の不必要な攻撃をやめさせ、住民の無用の犠牲を防ぐのが本来の狙いだ。
 ただし、地域に指定されるには、(1)すべての戦闘員や移動兵器、移動軍用施設が撤去されている(2)固定された軍用施設や営造物が敵対目的に使われていない(3)当局や住民による敵対行為がない(4)軍事行動を支援する活動がない−などが必要条件。宣言してもこうした条件を満たせない場合は背信行為とみなされる。
 しかし、自衛隊の施設などの管轄権は自衛隊法で内閣総理大臣にあると規定され、地方自治体には与えられていない。政府や自衛隊などと合意なしに戦闘員や軍事施設の撤去などを地方自治体が実行することは非現実的だ。
 国民保護法なども自治体に国の方針に基づく協力義務を定めており、自治体が条例でこうした条件を確保する規定を勝手に盛り込む行為は、国防への協力拒否を意味するだけでなく、仮に条例が制定されても法律違反として無効とみなされる可能性が高い。
 ジュネーブ条約はこれまでも守られないケースが多々あり、「条約に依拠して宣言したところで地域住民の安全は守れない」といった声も出ている。
 これまでに、条例を可決した自治体はないものの、運動自体は次々と別の地域で展開される状況が続いている


posted by 水無月 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(4) | 国内(憲法・改憲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

改憲論・・・もやもや

憲法改正問題・・・。
自民党が案を出したわけですが、大きな論点は↓くらい?

@九条関係・・・自衛軍保持明記。
  集団的自衛権は解釈で運用
A宗教関係・・・政教分離から宗教儀礼を除き
  首相の靖国参拝を合法化
B改憲発議・・・国会議員2/3の賛成から過半数へ

私は、九条に関しては、議論を避けることはできない
と思っています。いずれは解決すべき問題。
現状の 自衛隊=違憲 状態の異常の方が、日本国民の
精神衛生上よくないような・・・。
本音と建前は別ですよ・・・を、国レベルでやってる
ようなものですから・・・。陰湿なイメージ。

九条を巡る議論・・・は結局のところ、日本はどこまで
日米同盟を重視していくつもりなのか・・・ということ
でしょうね・・・。
米国にお付き合いするなら、改憲後の日本の軍人が
他国民を殺さずにすむということはありえない・・・です。
今の英国並になる・・・と見た方が良いでしょう。
嫌だ! と叫んでいるだけでは状況を変えることは
できません。
英国になる以外の展望、未来像を野党が示せなければ
国民はついていきようがない・・・ですから。

靖国・・・。
政教分離原則の根拠をなくそうということですが
靖国以外の追悼施設建設・・・案は?(苦笑

天皇のお世継ぎ問題もありますし、本当に激動の時代
・・・となってきました。

靖国問題の本質は、外国からの抗議をおけば
日本に国教を認めるかどうか・・・の問題でしょう。
象徴天皇制と国教・・・の関係。その距離感。


日本には健全なリベラル左派思想が育っていない・・・。
私は最近、そう思うようになりました。
実に不幸なことであり、最終的なその責はほかでもない
国民全体にあるのだと思います・・・が、では
どうすればよいのか・・・。
ここでいつも詰まってしまう・・・のですよね。

日本が右傾化していると嘆く声をよく聞きますが
私個人としては、九条や天皇制の問題を、普通の人々が
自由&活発に議論している現代の風潮自体は、悪いこと
とは思いません。

自衛隊は(海外派兵する際の条件として)米国でなく
国連指揮下に置くべきだ・・・との 主張をしたのは
小沢氏(現民主)じゃなかったでしたっけ?
(今はどんな主張をしてるのか知りませんが・・・ 汗)
改憲が是か非か・・・の議論より、そういう論点からの
議論に参加した方が、益があるかもしれません・・・。
(2005/10/29 12:24:17)


     ◇     ◇     ◇


左派が現状のまま「国民みんなで考えよう」式の主張しか
できないなら、改憲はされるでしょうね・・・遅かれ早かれ。

ん〜・・・(モヤモヤ

改憲自体はともかく、改憲論議は避けられないでしょうし
避けるべきでもないと思います・・・。特に九条。
憲法改正に反対するなら、日米同盟破棄も主張すべきです。
・・・それでなきゃ筋が通らない・・・ですから。
日米同盟を破棄してどのようにやっていくのか・・・を
論じない「改憲反対」は無責任なように思えます。
なので「改憲反対」と叫ぶ気になれない・・・。
その無責任さが自分で見えるゆえに。
口先だけの無責任さ・・・が、左派の負ける元凶だから。

実際問題・・・九条は対米軍事協力の足かせになってきた。
米国にとっての日米同盟の意義・・・は、冷戦中は
対ソ・対中の抑止力・・・(だから海外派兵は考えなくてよかった)
冷戦終結後・・・湾岸戦争で、まず米国が変わった・・・。
日本は米国に引きずられる形で変化させられている
・・・のが現状。日本に米国を引き止める力がない以上
日本に日本自身の変化を止める力もない・・・の?
これを自虐と呼ばずなにが「自虐史観」か!
日本の自虐史観を嫌う人はなぜ現代の自虐にかくも鈍感か・・・。

九条が対米軍事協力の足かせになってきた・・・ことを
評価する人は多いでしょう。
私もそこは評価したい・・・です。
しかし仮にも憲法・・・を、単に米国への口実、防波堤・・・の
役に貶めてよしとする・・・ことには、うずきに似た痛みを
覚えます。
そろそろ半世紀・・・もの間、平和憲法は防波堤で
あり続けました・・・。そしてもうボロボロなのです。

憲法に足かせの役を頼むのではなく、そろそろ日本国民が
矢面に立つべき時ではないでしょうか。
九条論議大いに結構。
子供の世代に先送りせず、そろそろ決着をつけるべきだと
思います・・・。
(2005年10月29日19:42)


posted by 水無月 at 20:00| Comment(5) | TrackBack(1) | 国内(憲法・改憲) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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